実りの秋。新米の季節がやってきた。『女性セブン』の名物ライター“オバ記者”こと野原広子が、“米”にまつわる思い出を綴る。
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「秋」と聞いて即座に頭に浮かぶのが新米。新米が炊き上がって釜から立ち上ってくるあの清らかなにおいを嗅ぐと、もぅもぅ、たいがいのことはどうでもよくなるよね。ピカピカの粒を「ちょっとひと口だけ」とスプーンですくって口に放り込んだら最後、もうひと口、あとちょっとが止まらない。そして夕食時にあらためて新米に手を合わせて、丼に一杯。これは、毎年繰り返している秋のひとり行事だ。
私が生まれた茨城県桜川市は昔から米どころ。母親から「皇室献上米がとれたんだど」と言い聞かされて育ったの。その昔、皇室に献上が許された米という意味で、大変名誉なことだったらしいわ。
それを義父が車で運んで来てくれて食べていたのよ、上京した18才から60才になるまで。「ヒロコ、米はあんのが?」が挨拶代わりで、「そろそろなぐなるな」と言うと、「んじゃ、今度の日曜、持って行ぐべが」と電話の向こうの声が弾み出す。車で上京するのが大好きな両親と一緒に年4〜5回は来ていたの。
食べ物は子供の頃から親から与えられたものが“基準”なんだよね。だから、私にはお米は2種類あって、うちで炊く米は「本物」だけど、仕事の合間にかっこんだり、女友達と人の噂話をしながらのランチは「別物」なんだよね。
そう割り切ってはいたものの、そうもいっていられないことが48年間の東京暮らしで2回起きたんだわ。1回目は28才で離婚したとき。2回目は経営していた編集プロダクションを畳んだ40才の直前に、実家との音信がパタッと途絶えたとき。
1回目は「なんだどぉ。離婚してもうほかの男がいるんだと? その男、ここに連れてこお!!」と母親が激怒して、「はあ、そんな娘、親でもね。子でもね」ということになり、ま、早い話、勘当よね。こっちも頭に血がのぼっているから、「ああ、わがった。じゃあな」と電話を叩き切ったわよ。でも、すぐに困ったのがお米なの。駆け落ち同然で千葉の団地に住み始めたのはいいけれど、男の経歴は笑っちゃうくらいウソ八百。「いままで金に困ったことはないから大丈夫だ」と私の肩を抱いたくせに、「給料? 今月はないな」って、おいおい。サラリーマンが給料ないってどういうこと?
仕方がないからスーパーでいちばん安い米を買ったけど、千円札1枚で米と野菜、肉は買えないことを知って驚いた。千円札2枚でもキツい。
そんなときに義父が「近くまで来たから」と言って、米袋半分の米を持ってきたんだわ。集合住宅の前で受け取って「じゃ」と言うと、「たまには電話でも寄ごせな」と言うけれど、なかなか車を発車させない。母親から「相手の男の顔を見てこい」と言われて来たのよね。
ウソつき男にそれを言うと、「ふーん」と言ったきりテレビから目を離さない。だけど、新米を炊いてちゃぶ台に粗末なおかずと一緒に置いたら、ボロボロと大粒の涙を流したのよ、「新米ってうまいんだな」と言って。男は自称独身だったけど、実は妻と3人の子供と別れたばかりだったことを私に言い出せずにいたのよ。
腐れ男はすぐに泣く、という定説も知らなかった28才の私はそんな男に騙されて、それから1年8か月、生活費ゼロ。あげく中古車ともろもろのローンを押しつけられて逃げられた、というお粗末。