【書評】『戦略的ヘッジングと安全保障の追求 2010年代以降のトルコ外交』/今井宏平/著/有信堂/4400円
【評者】山内昌之(富士通フューチャースタディーズ・センター特別顧問)
戦略的ヘッジングとは、国際政治でどの国が覇権国になるのか不透明な状況において、積極的な中立を求める外交姿勢に由来した概念である。米国の援助に依存してきた東南アジアは、2010年代前半から、中国が覇権挑戦国として台頭するにつれて、米国と中国のいずれとも良好な関係を保つために、戦略的ヘッジングを議論したものだ。
米国の同盟国でありNATO加盟国たるトルコは、地理的に黒海を挟んだ隣国ロシアとの友好・通商関係を維持することで、冷戦期から安定した安全保障環境を維持してきた。これが戦略的ヘッジングである。
著者は、エルドアン政権の新オスマン主義外交や「内政ファースト外交」を扱うなかで、オスマン帝国からトルコ共和国に至る外交戦略の変遷も分かりやすくまとめている。
本書の圧巻は、トルコの戦略的ヘッジングの意味が問われたウクライナ戦争の分析である。トルコの同盟国・米国やEUがロシアに経済制裁を加え、友好関係にあるウクライナが戦禍を受けているなかで、トルコはロシアへの制裁に加わらず、独特な戦略的ヘッジングを活かすことに努めている。
たとえば、トルコはウクライナの穀物輸出を認めさせるために、ロシア・イラン・トルコ三国の協議やロシアとの二国間協議で同意を取り付けた。これは、ロシアを一貫して戦略的ヘッジングの対象としてきたエルドアン大統領でないと難しい芸当ではないか。
他方、エルドアンは反トルコのクルド人活動家を受け入れたスウェーデンのNATO加盟に反対した。これは、選挙対策や国民感情からシリアとトルコのクルド人組織(トルコからすればテロリスト)の擁護を是認できない「内政ファースト外交」が、スウェーデンを戦略的ヘッジングの対象とする必要性をはるかに上回ったということなのだ。
両大戦間期にさかのぼって、トルコとロシアや中国との関係をも説いた類書のない好著である。
※週刊ポスト2023年10月20日号