【書評】『発酵食品と戦争』/小泉武夫・著/文春新書/1155円
【評者】嵐山光三郎(作家)
発酵食品といえば納豆、味噌、醤油、漬物、ワインなど数多いが、食料のみならず、爆薬、燃料、薬品まで作るパワーがある。抗生物質、制ガン剤、バイオマスのようなエネルギーを作るパワーがあり、江戸時代には微生物の力を応用して人間の小便から爆薬を作った。越中(富山県)の五箇山に「塩硝の館」がある。
深さ三メートルほどの穴を掘り、カイコの糞、鶏糞、ソバ殻、ヨモギの葉などをまぜあわせて敷きつつ、人間の小便を大量にかけて発酵させた。五~六年かけて熟成させ塩硝土を掘り出して火薬に精製する。加賀藩はこの塩硝火薬を他藩に売って財政源とした。第一次世界大戦では発酵作用で爆薬ニトログリセリンを製造した。ニトログリセリンは黒色火薬の七倍の威力があり、ノーベルはダイナマイトを製造した。
発酵技術は武器や抗生物質などに使われたが、なんといってもワインの熟成にかかわったことがじつにありがたいことであります。ウクライナのクリミア半島を占領したロシアのプーチン大統領は、二〇一五年、イタリアのベルルスコーニ元首相と現地で落ちあった。二人は仲が良く、世界的に著名なマサンドラワイナリーへ行き、国宝級のワインの説明をうけた。
何百年という長い間貯蔵された極めつきのワインばかりで、瓶の一本一本は長年の熟成により、全体が真っ黒い色をしていた。埃やクモの巣で覆われた多数のボトルを見たベルルスコーニ元首相は「味わえるのか?」と訊ねた。
女性所長はその場で一本の栓を開け、二人は試飲した。そのワインは一七七五年のもので一本一二〇〇万円相当であった。ウクライナ検察当局は「それはウクライナ国民の財産だ」として「三億円の価値がある」と訴訟した。
ベルルスコーニ元首相は二〇二三年六月一二日に八十六歳で死去した。さて、ウクライナがクリミア半島を奪還したとき、マサンドラワイナリーは爆撃をうけずに残っているでしょうか。
※週刊ポスト2023年10月20日号