谷村新司さん(享年74)死去の知らせは、日本のみならず世界中を悲しみに包んだ。名曲を通して、多くの人に感動を届けた彼は、誰からも愛され、慕われる人だった。病気、家族、音楽……谷村さんの人生を色々な側面からたどる。【前後編の前編】
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朝からの冷たい雨は午後まで降り止まなかった。黒い傘は参列者の表情を隠したが、一様に沈んだものであることは明らかだった。東京・品川区で谷村新司さんのお通夜、葬儀が行われたのは、10月14日、15日のことだった。
「バンド『アリス』の堀内孝雄さん(73才)と矢沢透さん(74才)をはじめ、古い仕事関係者、そして近親者のみが参列しました。本当に限られた人だけが集まって最後のお別れをしたのですが、その中に谷村さんの息子さんがいらっしゃらなくて……。最後まで親子の縁が戻ることはなかったんだなと悲しみが一層大きくなりました」(谷村さんの友人)
『昴』『サライ』など長く歌い継がれる名曲を生み出したほか、『いい日旅立ち』を山口百恵さん(64才)に提供するなど、長年歌謡界を牽引してきた谷村さん。彼が最後まで苦しみ、葛藤したのは、病だけではなかったようだ。
《10月8日に息を引き取り永眠いたしました。本人も回復に向けて頑張っておりましたので本当に残念に思います》
所属事務所の公式サイトが谷村さんの死を伝えたのは、10月16日のことだった。訃報を受けて、いち早くコメントを発表したのは、アリスのメンバーだ。堀内は「また、いつか空のほとりで一緒にライブをやろうね」とメッセージを送り、矢沢は「悲しいというより悔しい」と無念をにじませた。
谷村さんが公の場に姿を見せなくなったのは、今年3月のこと。急性腸炎の手術を受け、大事をとって療養することを事務所が公表したが、症状や休養期間は「不明」とされた。3月の手術後は、地方でのイベントや渋谷タワーレコードでのポップアップショップの1日店長などを欠席。5月にはアリスの全国ツアーの延期を発表した。さらに6月には恒例だったクリスマスディナーショーの休止を早々に発表し、「年内は治療に専念する」と伝えていた。
そんな谷村さんがなんとしてでも駆けつけたかった仕事があった。8月末放送の『24時間テレビ「愛は地球を救う」』(日本テレビ系)である。毎年8月に放送される同番組は、谷村さんが代表作詞を手掛けた『サライ』が1992年の第15回からテーマソングとして使用され、作曲の加山雄三(86才)や出演者とともに番組フィナーレで大合唱するのが恒例となっていた。
「加山さんは昨年で最後の歌唱となりましたが、加山さんの分まで頑張りたい、と番組に出演するのを楽しみにしていたのです。しかし、ステージに立つことは叶わず、病床から“歌いに行くことができず、ごめんなさい”というメッセージを寄せました。代わってアリスの堀内さんが出演し、『いい日旅立ち』『チャンピオン』など往年の大ヒット曲を歌って谷村さんにエールを送りました」(テレビ局関係者)
アリスは昨年活動50周年を迎え、記念ライブを開催。谷村さんはメンバーと共に「ここからリスタートして10年続けよう」と約束し、復帰へ向けつらい治療にも積極的に励んでいたという。
「3月以降、腸炎以外の病気も次々に見つかったそうです。さらに予想外なことは続き、谷村さんの体質が少し特殊で、病気との相性が悪かった。治療は困難を極め、日を追うごとに回復の可能性が狭まっていったと聞いています」(前出・谷村さんの友人)
半年以上に及んだ入院生活は、事務所の社長であり谷村さんのプロデューサーでもある妻がつきっきりで看病していたという。
「最初に腸炎と発表して以降、何のアナウンスもなかったのは奥様の意向です。“本当の病状”は、世間に伝えたくなかったのでしょう。10月8日の早い時間に、病院から奥様へ危篤状態である旨の電話がきました。そしてその夜に息をひきとったのですが、最後はふたりの時間を過ごせたそうですよ。どんなときも谷村さんの決断を尊重し、支えてきた奥様でしたから、闘病生活を終えた谷村さんに、労いと感謝の言葉を伝えたのでしょう」(前出・谷村さんの友人)