90年の歴史がある日本プロ野球においても、1965年から1973年にかけて達成された巨人の9年連続日本一は「不滅の記録」として位置づけられる。それはまた、野球がもっとも熱かった時代の記憶でもある。ONという球史に残るスーパースターとしてチームを引っ張った王貞治氏(83)が当時を振り返る。【全4回の第1回】
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V9達成から半世紀ですか。もうそんなになりますかね。
日本シリーズは丁半博打みたいなもの。どっちに転ぶかわからない短期決戦です。何年続けて勝っていても、有利ということはありません。
やっているほうは、毎年勝てば勝つほど負けられないということになるんですよね。7連覇、8連覇と回数を意識したというよりは、今年も負けられないという気持ちがどんどん強くなっていきました。
そういう意味でも9連覇を達成した1973年の日本シリーズは強く印象に残っています。
あのシーズンはペナントも劇的で、7月には首位と7.5ゲーム差と低迷し、今度こそリーグ優勝は絶望という空気でした。
ジャイアンツが夏場に盛り返したことで一時首位に立ったが終盤に連敗。阪神が残り2試合で中日かジャイアンツに1勝すれば優勝という状況となった。
ジャイアンツナインが阪神VS中日の行なわれているナゴヤ球場の横を新幹線で移動しながら、「消化試合で甲子園まで行かないといけないのか」とボヤいていたのを覚えています。
今度こそ絶望と思われたが、阪神がエースの江夏(豊)で中日に負けたことで、史上初の最終戦(甲子園)で勝ったほうが優勝という展開に。この最終決戦でジャイアンツが9対0で阪神に大勝し、リーグ9連覇が達成できたんです。
我々は消化試合のつもりで移動していたのに、生き返ったわけです。やはりこういう場面ではそれまでV8を経験してきたジャイアンツは強かった。
その勢いのまま南海との日本シリーズに臨むことになったが、チーム内には危機感が広がっていました。
長嶋(茂雄)さんがペナント終盤での右手指骨折によりシリーズに出場できなかったんです。一塁コーチとしてグラウンドに立つことになりましたが、長嶋さん不在はナインにとって大きな不安材料でした。