司会者として活躍してきた関口宏(80才)が、来年3月いっぱいで『サンデーモーニング』(TBS系)を降板する。若き日の妻の言葉を支えにしてきた関口には、いまがそのタイミングだったのかもしれない。降板と新天地が交差した、糟糠の妻との愛の物語──。
慣れ親しんだ生放送のはずだが、その瞬間だけはどこか緊張した面持ちに見えた。10月22日、『サンデーモーニング』に出演した関口宏は、1987年から司会を務める同番組を来年3月末で降板すると報告した。
「この番組も36年経ちました。私も80才になりまして、そろそろ世代交代ということになりました」
降板の理由をこう説明した関口は、数年前から番組内で取り上げた人物の名前の混同や、漢字の誤読が増えていた。出演者との会話がかみ合わないケースも目立ち、「的外れ」「勉強不足」などとインターネット上で炎上することも多くなった。
「世代交代」という発言の背景には、関口に対する風当たりの強さもあるとみられる。だが降板の理由はそれだけではない。かつて「視聴率をもっとも稼ぐ男」と称賛された関口は、最愛の妻に自身の将来を重ねていた──。
関口の長い司会者人生は、妻・西田佐知子さん(84才)の一言から始まった。佐知子さんは『コーヒー・ルンバ』や『アカシアの雨がやむとき』などの大ヒット曲で知られる昭和の人気歌手。関口との交際は、1970年、芸能人同士がお見合いする『ラブラブショー』(フジテレビ系)での共演がきっかけだった。
「佐知子さんの大ファンだった関口さんが、仲のよかった番組プロデューサーに持ちかけて共演が実現しました。そこから猛アタックの末、出会って1年も経たない1971年3月に式を挙げました。佐知子さんが5才年上だっただけに周囲には反対する声もありましたが、関口さんは、『結婚は計算してできるもんじゃなく、ある日突然しちゃうもんだ』として結婚に踏み切りました」(芸能関係者)
翌年に一人息子で俳優の知宏(51才)が誕生。私生活は幸せそのものだったが、仕事面では問題に直面した。昭和の二枚目スター・佐野周二さんの息子である関口は、父と同じ俳優として映画やドラマに出演しながら『スター千一夜』(フジテレビ系)や『ヤング720』(TBS系)など人気番組の司会者としても活躍していた。だが30才を過ぎた頃から、俳優の仕事が減り始めたのだ。
このまま俳優を続けるべきか、司会一本に絞るべきか。岐路に立たされた関口の人生を決めたのは佐知子さんだった。
「大ヒット曲を持つ佐知子さんですが、“私は器用じゃないから主婦業に専念したい”と、結婚後は芸能界を引退して専業主婦として夫をサポートしていました。当時、俳優の仕事が減って悩む関口さんに対し、佐知子さんは“あなたは司会の仕事をしているときの方が生き生きしているじゃない”と伝えて、司会者としてやっていくことをすすめました」(前出・芸能関係者)
過去に本誌『女性セブン』のインタビュー(1994年3月17日号)で関口は当時の心境をこう語っている。
《女房が“ゼロになってもかまわないじゃない。もともとゼロからの出発なんだから”といってくれたひと言が、非常に心の支えになりましたね。この言葉はいまでもはっきりと覚えていますよ》
再出発を誓った関口はTBSを舞台に『クイズ100人に聞きました』、『わくわく動物ランド』など数多くの人気番組の司会を担当し、出演番組の視聴率が合計100%を超える「視聴率男」となった。この快進撃を陰で支えたのも、佐知子さんだった。
「司会を続ける上で関口さんがもっとも頼りにしたのが、佐知子さんのアドバイスです。彼女の率直な意見をすぐ取り入れ、“うちの女房は最高のモニターだ”とよく口にしていました。家庭でも関口さんは佐知子さんの手料理を食べて、英気を養っていたそうです」(前出・芸能関係者)
誰もがうらやむおしどり夫婦。だが、そんなふたりの老後に試練が訪れる。