栄光の1985年以来、38年ぶりの日本一を目指す阪神。59年ぶりの「関西ダービー」は岡田彰布監督にとって、2012年に退任したオリックスとの因縁の対決だ。今季の阪神の強さの秘訣は、岡田氏がユニフォームを脱いでいた「雌伏の10年」にあった。【前後編の前編。後編を読む】
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阪神での第一次政権(2004~2008年)を終えた直後の12月、岡田氏は本誌『週刊ポスト』の取材にこう語っていた。
「再登板? それはオレが決めることちゃうやろ。しばらくは外から野球を見せてもらうわ」
実際にはその後、オリックス監督を3年間務めたため、外から野球を見たのは2013年から昨年までの10年間である。
「以前の監督時代とは別人格に変わったね」
そう語るのは、デイリースポーツ前社長(現特別顧問)の改発博明氏だ。岡田氏の現役時代からトラ番を務めた改発氏は、2005年の優勝を報道部長として見届け、2007年から連載担当として岡田監督に密着取材し連載コラムを執筆。今も岡田氏と家族ぐるみの付き合いがある。
「岡田の奥さんも言っていたが、10年前までは野球のことしか知らず、それもお山の大将でやってきた。それが評論家になって、一人で新幹線の切符を買って、視察や講演先に行くわけです。そうした経験を経て、野球観やなくて人間性が変わった。『優勝するためには……』と野球のことばかり考えていた野球小僧が、いいところだけは残して成長した10年だったと思います」
岡田氏がデイリースポーツの評論家に就いたのは、改発氏が編集局長だった2013年(社長就任は2016年)から。10年間にわたってコラム連載『球界まる分かり 岡田辞典』を続けた間、自宅ではスポーツ4紙を隅々までチェックし、プロ野球だけでなく、アマチュアの試合にも足繁く通っていたという。改発氏が振り返る。
「この10年、岡田はよく球場に足を運んでいました。他の解説者と違うのは、常に『オレが監督ならこうする』という視点で見ていたこと。岡田はしゃべりがうまくないぶん、口先でごまかすことはしない。辛辣と言われたこともあるが、本音で語るからこそ“岡田節”として認められ、ファンにも愛されたんです」
そうした発言を今季は、全スポーツ紙がこぞって「岡田語録」として大きく取り上げている。