38年ぶりの日本一を目指し、オリックスと日本シリーズを戦う阪神。岡田彰布監督は2004年から2008年の「第一次政権」でも2005年にリーグ優勝を飾ったが、このときは日本一を逃している。当時はベンチでも常にピリピリしており、周囲から“怖い”と思われていたという岡田監督。そこから今に至るまで、どのような変化を経てきたのだろうか──。【前後編の後編。前編を読む】
* * *
不器用さから時に反感を買うこともあった岡田氏を支えたのが、妻・陽子さんだ。ベテラン番記者が言う。
「評論家時代、岡田さんのマネジメントを担ったのが陽子夫人。彼女に連絡すると、正確な内容で間違いなく岡田さんに伝わった。家庭内でも常に野球談義の相手をするため、陽子夫人も常にスポーツ紙をチェックし、阪神戦をすべてテレビ観戦して野球の情報を頭に入れていたそうです」
岡田氏はプロ3年目だった1982年のオフに、上智大卒で語学に堪能な才女である陽子さんと結婚。以来、長きにわたって岡田氏を支えてきた陽子さんにも話を聞いた。
「試合をすべて見るようになったのは、主人が家に帰ってきてポロッと漏らす一言に反応するため。言葉が少ない人ですから、一を聞いて十を知るように『あの場面かな』と反応できることが私の仕事と思ってきました。返事もできないと『おまえに言っても仕方がない』となりますからね。ビジターの時は、今日は帰ってこないからと少し気を抜いたりしてました(笑)」
監督を退いた後も、岡田氏の熱意は変わらなかったという。
「ユニフォームを脱いでいた10年間、主人は球場やテレビで阪神の試合は欠かさず見ていました。テレビ画面の前で『なんでここで動かへんのや』なんて呟きながらね。私にとっては、結婚してから初めて野球観戦から解放された時間でした。
今季、監督に戻ってからは、私も再び主人が関わるゲームは全試合観てきました。振り返れば、たしかに前回の監督時代は、ベンチで感情を表に出すタイプではなかったですね。それが今季は、サヨナラ勝利でバンザイしていて『えぇーーっ』という感じです(笑)。年齢を重ねたこともあって、器が少し大きくなったのかな、と思います」(陽子さん)
変化の兆しは春季キャンプからあった。岡田氏はデイリースポーツ前社長(現特別顧問)で現役時代からトラ番を務めた改発博明氏に対し、こんな一言を漏らしたという。
「今は野球をするのが楽しい。前回の監督は楽しくなかった。苦しかった」