【書評】『アントニオ猪木とは何だったのか』/入不二基義、香山リカ、水道橋博士、ターザン山本、松原隆一郎、夢枕 獏、吉田 豪・著/集英社新書/924円
【評者】岩瀬達哉(ノンフィクション作家)
リング上のアントニオ猪木は、ゴングが鳴っても闘う姿勢を取らなかった。からだを斜に構え、睨みをきかし、相手が技を仕掛けようとしても軽く手で払い、なおも睨み続ける。そんな姿が記憶に焼き付いている。「貧困から抜け出すため」、14歳で移民としてブラジルに渡り、コーヒー農園での重労働に従事してきた猪木は、かつて舐めた辛酸を闘志に変え、あとのない闘いに挑む気迫を示しているかのようだった。
力道山が演出した「白人レスラーをばったばったとなぎ倒す」ショーとしてのプロレスを拒否し、「強さを競うプロレス」を標榜し、「日本人最強、日本プロレス最強」にこだわった。「裸一貫」で「身を晒し命を燃やし続けた」のが、猪木のストロングスタイルだった。
その肉体と精神は「多くに伝わる言葉」となって、テレビの前の「1000万人の視聴」者を魅了した。この不世出のプロレスラーの多面性を、哲学者、精神科医、芸人、社会経済学者、作家など7人の評者が論じている。「固有のスタイルと美を生み出す」猪木の必然性、「狂気と底抜けの明るさ」の背景にある「強烈な個性」、そして猪木を支えてきた梶原一騎を「使い捨て」にした「冷たさ」までが明かされている。
「プロレスラーとして全盛期を過ぎた」のちは、国会議員となって、イラクで人質になっていた日本人駐在員の家族を連れ帰るという離れ業をやってのけた。その時のことを、わたしは猪木にインタビューしたことがある。
ホテルのバーで葉巻をうまそうにふかし、ウイスキーのロックグラスを口に運びながら、「あれは佐川急便の創業者佐川清さんに資金援助してもらい、イラクまでの飛行機をチャーターしたんですよ」。ブラジルでの事業に失敗し「自殺しようと思った」時も、佐川に助けられ借金地獄から解放されたと話は尽きなかった。
猪木の歩んできた「道」は、引退式で詠んだ詩の一節、「迷わず行けよ! 行けばわかるさ!」、そのものだったのだろう。
※週刊ポスト2023年11月10日号