兵庫県宝塚市にある宝塚大劇場では、11月23日まで予定されていた雪組公演が中止に。10月29日には、劇場内のチケットカウンターやレストラン、物販店舗なども一部を除いて休業することが発表された。9月30日に、宙組に所属する有愛きいさん(享年25)が転落死した痛ましい出来事に、現在の大劇場周辺は、近隣住民が戸惑うほどに閑散としている。
激震が続く宝塚で、「宝塚の最高傑作」と言われ、数々のステージの中央でスポットライトを浴びてきたのが天海祐希(56才)だ。一方で、時に「異端児」とされ、「いじめ」の標的になったこともあった。しかし、天海自身は公の場で宝塚時代のことをあまり語ってこなかった。
「天海さんは、過去の苦労話をすることをあまり好まないんです。大変だったことや納得がいかなかったことでも、自分の中で整理がついていれば、わざわざ話さなくていいという考え方なんです。
苦しい記憶であっても、いまとなっては自分を形作る思い出の1つだという思い。それだけ、宝塚時代を大事にしているのでしょう。だから、軽々に話したくないという気持ちが強いんだと思います」(演劇関係者)
天海は高校2年生の冬に満を持して宝塚音楽学校を受験。18倍という競争率をくぐり抜けた。同期42人の中で、天海はトップ合格。ここから、天海の宝塚での日々が幕を開けることになった。
2年制の音楽学校では、上級生が「本科生」、下級生は「予科生」と呼ばれる。本科生は、予科生の指導係だ。音楽学校では合格時の成績上位4名が、その同期の中で「委員」という役職につく。予科生に甘さが見られると、叱られ役はその委員だった。
当時の音楽学校の生活は、軍隊並みの厳しさだったという。起床は4時半、早朝6時過ぎから8時過ぎまでは、音楽学校特有の掃除の時間だった。綿棒や筆まで使って、教室から廊下、校内の至るところのすみずみまでほこりを取り除く。それでも残ってしまったほこりを見つけられ「これなあに?」と先輩からの嫌みな言葉が飛んだ。
ハードなのは掃除だけではない。休みは日曜日だけで、毎日、日本舞踊に演劇にバレエにタップの稽古が続く。「鼓笛行進」といって、1時間ひたすら行進するカリキュラムもあったという。出来が悪ければ、容赦なく本科生からの厳しい声が飛んだ。
「天海さんを支えたのは、“高校を中退してきたのに、辞められない”という反骨精神でした。送り出してくれた両親に面目が立たない。そういう価値観が彼女の原動力になっていたのでしょう」(前出・演劇関係者)
どれだけつらくても黙々と日々の稽古に耐えていた天海だが、上級生に対し、怒りを露わにしたことがあった。もはや指導とは言えない「いじめ」を目撃したときだ。
「同期の1人が、本科生からいじめを受けたことがあったんです。そのとき天海さんは“1人だけをいじめないでください”と憤慨した。理不尽な理由で同期が課せられたトイレ掃除を、“私も一緒にやります”と買って出たこともあったそうです。
そうした上下関係を見てきたからでしょうね。天海さんが本科生になったときには“夢を見せる存在である宝塚が、こんな規律に縛られていてはいけない”と、リーダーシップをとってルール改革をしたそうです」(前出・別の演劇関係者)