ウソと誤解に満ちた「通説」を正す、作家の井沢元彦氏による週刊ポスト連載『逆説の日本史』。近現代編第十二話「大日本帝国の確立VII」、「国際連盟への道5 その12」をお届けする(第1398回)。
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ここでちょっと用語の問題を整理しておこう。
とくに、中国の国号に関する問題である。これについては、『逆説の日本史 第一巻 古代黎明編』を書き始めたときにすでに「原則」として述べているのだが、考えてみればそれを書いたのはもう四半世紀以上前である。二十代の読者ならばほとんど生まれてもいないだろうし、三十代でもまだ子供だった時代である。この連載の当初からの愛読者ならば繰り返すまでも無いだろうが、これだけ時間が経つとそういうわけにもいかないので、もう一度確認しておきたい。
たとえば、この時代に大日本帝国は一貫して中国のことを「支那」と呼んでいた。この「支那」という言葉をいまだに差別語扱いする向きもあるが、これは決して差別語では無い。これも前に説明したことだが、中国の最初の王朝は秦だったため、ローマ帝国では中国のことをCHINA(チーナ)と呼ぶようになった。これはローマ帝国の国語であったラテン語の発音で、英語では同じ綴りだが発音はチャイナになった。
そのうち中国はヨーロッパ人が自分たちのことをそのように呼んでいることに気がつき、中国にはカタカナ(表音文字)が無いので発音に見合う漢字を当てた。しかし、これも繰り返し述べたことだが、中国人は「悪癖」を持っている。自分たちが「中華の国」つまり世界の中心にいる文明人だというプライドがあるので、周辺地域に住む人間をバカにして「邪」馬台国とか「卑」弥呼とか、わざわざ悪い意味をもった字を当て字に選ぶのである。「モンゴル」もそうで、この発音は尊重するのだが、それに対して当て字をする際わざわざ「蒙古(無知蒙昧で古臭い)」という字を選んだ。
しかし、「支那」の場合は中国人自身がシナという言葉に当て字をしたのだから、悪い字を選ぶはずが無い。この両方の字には差別的意味はまったく無いのである。それなのに、若い人には信じられないかもしれないが、かつてはこれが差別語だという誤った説が一部のインチキ歴史学者どもによって唱えられ、それを鵜呑みにしたテレビ局が歴史的用語である「支那事変」という言葉を使わないようシナリオライターに強要し、結果的に歴史ドラマなのに「日華事変」と言い換えさせられていた。
同じ時代、テレビやラジオのニュース番組で北朝鮮のことを報じるときも、アナウンサーは必ず「北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国」と言わねば上司に叱られた。韓国も本当は大韓民国なのに、「韓国、大韓民国」とは同じニュース番組では決して言わなかった。
注意してほしいのは、これは歴史上の事実としてあった「差別語狩り」とは違うものであるということだ。差別語狩りというのはかつて視覚障害者を指す「メクラ」などという言葉を差別語とし、それを歴史から抹殺しようという一大運動である。私もいまは視覚障害者というちゃんとした言葉があるから、ことさらにこの言葉を使おうとは思わない。
だが、この言葉はそもそも「目暗」すなわち「目の前が暗い」という意味であって差別的な意味は無く、それゆえかつては「めくら判」とか「めくら縞」という派生語が普通に使われていたのだから、少なくともその時代の歴史を語る場合は使わなければいけない。また、昔の時代を描いた文芸作品や映像作品には登場させるべきなのである。江戸時代の人間が「視覚障害者」などという言葉を使うはずがないからだ。