【オードリー・ヘプバーン没後30年】「愛」と「平和」に生きた晩年の言葉 「すべての始まりは優しさから」
「永遠の妖精」と呼ばれた世紀の大女優オードリー・ヘプバーン(時事通信フォト)
1957年の『パリの恋人』(写真=Everttcollection/AFLO)
彼女のライフスタイルやファッションに世界中が注目し、時代を超えたアイコンとなった(時事通信フォト)
1952年の『モンテカルロへ行こう』。ジャズの楽団員リンダが預かった赤ちゃんを保育所で取り違えて大騒動に。日本未公開のフレンチコメディ作品。写真はモナコでの撮影オフショット(写真=EdwardQuinnArchire/AFLO)
プリンセスの気品と少女のような無邪気さ(Getty Images)
『パリで一緒に』(1964年)。脚本家とタイピスト、ガブリエルの恋を描くロマンチックコメディでは劇中劇で一人二役に挑戦。右から撮影中に談笑するオードリーと俳優ウィリアム・ホールデン、監督のリチャード・クワイン(写真=Bob Willonghby/mptvimages/AFLO)
『麗しのサブリナ』(1954年)。富豪の息子に恋い焦がれる運転手の娘サブリナ。振り向いてくれない彼を見返すべく、パリ留学して立派なレディに。本作で穿いた八分丈パンツは「サブリナパンツ」と呼ばれ流行(時事通信フォト)
『マイ・フェア・レディ』(1964年)。ブロードウェイの大ヒットミュージカルの映画化。下町生まれの花売り娘イライザが社交界のレディに磨かれる様子を見事に演じきった(時事通信フォト)
ベトナムの山岳民族「ダオ」の村を訪ねた際には伝統衣装をまとった(Getty Images)
1987年、マカオの音楽祭でユニセフポルトガル支部に向けたスピーチを依頼され、2分間のスピーチを成功させた。約5年間ユニセフ親善大使として世界各地を飛び回った(写真=PA Images/AFLO)
子供たちと話す時は、目線の高さを合わせた。バングラデシュにて(写真=BestImages/AFLO)