【著者インタビュー】小川哲さん/『君が手にするはずだった黄金について』/新潮社/1760円
【本の内容】
「プロローグ」「三月十日」「小説家の鏡」「君が手にするはずだった黄金について」「偽物」「受賞エッセイ」の6篇の短篇の主人公はどれも「僕=小川哲」。最初の「プロローグ」では、一足先に就職した彼女との交際、そして出版社に就職するべくエントリーシートを前に悪戦苦闘する大学院生の「僕」が描かれる。自分を見つめた末に、就職をやめて小説を書いた。〈エントリーシートのときとは大きく違っていた。何もかも自分のせいだったけれど、少なくとも僕には欠損があり、その欠損を埋めるための動機があった。僕は小説を書かざるを得なかった〉。小説家が、小説家を描いた、小説をめぐる連作短篇集。
フィクションの型にぼく自身が乗っかったっていう感じ
小川哲さんの新刊は、小川さんらしき小説家を語り手にした連作短篇で、読み進めるうちに、パズルのピースがカチっ、カチっとハマっていく快感がある。考え抜かれた構成に驚嘆していたら、最初から全体像を決めて書いたわけではないと聞いてさらに驚いた。
「一番最初に連作の中の『三月十日』を『小説新潮』に書いたときは、本になるかどうかも決まってなかったですし。次の依頼が来て、じゃあ前にこういうのを書いたから次はこういうのをと、一つひとつ積み重ねるようにしていきました」(小川さん・以下同)
東日本大震災当日の記憶が鮮明なのに比べ、前日の記憶はほとんどない、という共通体験に着目した「三月十日」という短篇のアイディアから、物語は思いもよらない方向にふくらみ、伸びていく。
短篇集のコンセプトは小説家を語り手にして小説について考える、というもので、執筆時期が『地図と拳』という、満洲が舞台で膨大な調べものを必要とする長篇連載と重なっていたので、こちらの連作短篇は「調べもの禁止」で、『地図と拳』から一番遠い場所で書こう、と現実の自分に近い設定を選んだという。
作家自身が登場する小説というと、いわゆる私小説を連想するかもしれないが、この本の「僕」は日本の私小説に出てくる「私」とはかなり違っている。
「どちらかというと順序が逆で、小説家を語り手にした小説について考える小説というコンセプトの中で語り手の名前をどうしようかと考えたときに、『小川哲』にすると面白いんじゃないか、という考え方なんです。自然主義的に、自分の見た景色や経験を正確に描写しよう、とかいうことでは全然なくて、フィクションの型にぼく自身が乗っかったっていう感じですね」
大学で研究していたことや作家になるまでの経歴、山本周五郎賞を受賞したことなどは小川さん自身の経歴と重なる。小説について、小説家について「僕」が語ることばは、基本的に小川さんが普段から考えていることだそうだが、小説の「僕」イコール「小川さん」というわけではなく、あくまでこの小説の中で動くキャラクターのひとりとして設定されている。
ちなみに、冒頭の「プロローグ」は単なる序章ではなく充分な長さのある独立した短篇。最後の「受賞エッセイ」も、エッセイのように始まりながらこれも連作の一篇となる小説で、読む側の先入観に揺さぶりをかける。
本にするにあたって小説内の時系列に沿って並べ直しているが、執筆の順番は、【2】→【3】→【4】→【1】→【6】→【5】の順で書かれている。
主人公以外にも、複数回出てくる人物がいるし、「三月十日」は、「小説家の鏡」の中に、形を変えた一種の作中作として再登場する。こんな凝った構成を、設計図なしに書き進めて、頭の中が混乱したり、物語の展開に矛盾が生じたりしないものだろうか。
「時間的な矛盾は少なからずあったので、本にするときかなり直しました。いろいろ組み合わせて矛盾がないようにする作業は結構、得意ですね。京極夏彦さんもそういうのが得意らしくて、『あれ、めっちゃ楽しいですよね』という話をこないだお会いしたときにしました(笑い)。数学の問題を最後まで解いたあとに計算ミスに気付いて、どこを直さなきゃいけないか見つけるみたいな、そういうイメージですかね」
宇宙人をわかろうとするところが小説の面白さのひとつ
ひとつ気になったのが、「小説家の鏡」の中で、パチンコに大勝した高校の同級生西垣が僕に、1グラムの純金をプレゼントしたというエピソードが出てくることだ。表題作でもある「君が手にするはずだった黄金について」のイメージと重なるが、ごくさりげない書き方でもあり、意図的なのかどうか作家に聞いてみたかった。
「あ! それはたまたまですね。『小説家の鏡』を書いていたときは、『…黄金について』の片桐の話なんてまったく頭になかったので。でもひょっとしたらぼくの潜在意識が作用した可能性もなくはないです。こういうことが起きるから小説って面白いと思います」
オーラが見えるという青山の占い師。投資家として有料ブログで人気を集めるようになった高校の同級生。ロレックスの偽物の時計をはめている漫画家。小説の中には、さまざまな「偽者たち」がくりかえし登場する。この本に限らず、小川さんは虚実の揺れを小説に書くことが多い。
「これはあくまでぼくの場合なんですけど、小説を書くとき、熱狂の中心にいると書けなくて、その熱狂を、客観的に、後ろから俯瞰するようにして見ないと文章にできない感覚があるんです。それって当事者からすると『偽者』だよな、とずっと思っていて。
小説を書くことは、ぼくの中で偽者であることを引き受けること、というイメージで、だから、自分でも偽者について書くし、偽者について書かれた小説を読むのも好きですね」
「偽者」だと暴いたり裁いたりするのではなく、知りたい、もっと見ていたいという気持ちの動きが書かれているのが興味深い。「偽者」と対峙するなかで、「奇跡的な瞬間」(「小説家の鏡」)に立ち会うこともある。
「ぼくはもともとSF小説が好きなんですけど、SFってたとえば宇宙人について書いたりするわけです。宇宙人をどうにかしてわかろうとするところがSF小説の面白さのひとつで、小説自体が、自分の知らない他の誰かをわかろうとする行為から生まれてくるもんじゃないかと思います。
『地図と拳』だったら戦争にいろんなかたちでかかわってしまった人を、『君のクイズ』だったら『クイズプレーヤー』という自分にとって未知の存在をぼくがわかろうとするところから生まれている。それはこれまでも一貫しているし、これからもぼくの小説の重要な要素になるんだろうなと思います」
【プロフィール】
小川哲(おがわ・さとし)/1986年千葉県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程退学。2015年「ユートロニカのこちら側」でハヤカワSFコンテストの大賞を受賞しデビュー。2017年刊行の『ゲームの王国』で山本周五郎賞、日本SF大賞を受賞。2019年刊行の『嘘と正典』が直木賞候補に。’22年刊行の『地図と拳』で山田風太郎賞、直木賞を受賞。同年刊行の『君のクイズ』で日本推理作家協会賞の長編および連作短編集部門を受賞した。
取材・構成/佐久間文子
※女性セブン2023年11月23日号