【書評】『それからの帝国』/佐藤優・著/光文社/1870円
【評者】関川夏央(作家)
佐藤優は『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて』『自壊する帝国』など自伝的ノンフィクションを多く書いた。自己の歴史を点検しなくては気のすまない人なのである。本書『それからの帝国』では、『自壊する帝国』の主要な登場人物であったロシア人の友、サーシャ(アレクサンドル・カザコフ)との再会を中心に語る。
知り合ったのは一九八七年秋、モスクワ国立大学哲学部科学的無神論学科(!)の講義であった。佐藤優が六歳近く年長だが、当時ラトビア独立運動に熱中していたサーシャと意気投合、ゴルバチョフのペレストロイカによって軟化した空気の中で、政治と政治運動について議論を重ねた。
ソ連消滅後の一九九四年に一度関係は絶たれた。しかし佐藤優の執行猶予期間満了の前、二〇一二年に再び連絡がつき、サーシャは訪日した。十八年の歳月は、二人の青年を五十二歳と四十六歳の中年にかえていた。
ラトビア人とラトビア在住ロシア人が手を取りあって生きられるラトビアを夢見たサーシャだが、一九九一年の独立後はナショナリズムどころかエスノクラシー(自民族中心主義)が横行、追放された。その後、彼はウクライナ東部ドネツク州のロシア人政権の顧問となり、ついでプーチンの熱烈な支持者としてクレムリンに入った。
佐藤優はウクライナ戦争をロシアの侵略と考えるが、サーシャはそれが「世界の悪(西側の価値観)」を食い止めるために祈りとともに振るう剣だとした。新自由主義の災いを防ぐには「ナショナリズムを潜在化させた」ロシア帝国への「後退」が必要だ、というのである。そういわれれば、明治維新も少なくとも名目的には古代体制への回帰であり、その成功例であった。
ロシア人は、ゴルバチョフ、エリツィンがもたらした一九九〇年代の混乱の方がソ連邦よりはるかに罪深いと考えていることまではわかっても、ウクライナ戦争、横行する暗殺はどう理解すればいいか。やはり「ロシアの謎」は深い。
※週刊ポスト2023年11月17・24日号