物静かなたたずまいと温かい雰囲気で数々の役を演じてきた俳優の長塚京三さん(78)。『ナースのお仕事』(フジテレビ系)のコミカルなドラマや、『瀬戸内ムーンライト・セレナーデ』『笑う蛙』などの映画で活躍。1995年にサントリーオールドのCMでブレイクし、JR東海のCM「そうだ 京都、行こう。」の趣あるナレーションでも長く愛された。そんな長塚さんは今年でデビュー50年。俳優を志した若き日から俳優業について、思うところを聞いた。【前後編の後編。前編から読む】
1974年、仏映画『パリの中国人』で俳優デビュー。帰国後はドラマ、映画、舞台と多数の作品で活躍してきた。心に残る作品はどれなのだろうか。
「そうですねぇ……思いつかないなぁ(笑)。自分の過去の出演作をわざわざDVDなどを取り出してきて、見返すことはしませんからね。ただ、たまたま再放送などがされていて、目にすることはあります。それを観ると、自分が思っていたよりも、ちゃんとやっていたんだなぁ、という印象はあります」
時を経たことで、客観的に観られるようになったことに加え、若さゆえの良さがあった、と感じるようだ。
「若いとき、演技が何なのかわからないままに闇雲にやっていた頃の作品、40代後半に映画『ザ・中学教師』で初主演する前の作品がとくにいいと感じますね。撮った直後はやり切れてなかった感が強くて、『またやらかしちゃったなぁ』などと後悔や反省をすることが多かったのですが、今みてみると、自分で言うのも変だけど、それなりにいい若手だったんだな、という気がしないでもない(笑)。逆に、年を重ねたからといって落ち着きが出てきて向上した、ということは、僕の場合はあんまりないのかもしれない」
ソルボンヌ大学へ留学
そもそも、仏映画でデビューという経歴が非常に珍しい。1968年、早稲田大学第一文学部演劇科を2年で中退し渡仏。パリのソルボンヌ大学へ留学した。
「貧乏だったのに、よく行きましたよね(笑)。幼い頃から映画好きの父に連れられ、西部劇などをよく観ていました。でも、俳優になりたくて早稲田の演劇科へ進学したわけではなくて、『変わったことをしたい』という出来心のようなもので演劇科へ進みました。フランス留学は何を考えてしたのか……やはり『人生を変えたい』という気持ちだったんでしょう」
当時は近隣の海外への旅行さえ珍しい時代。理解のある両親の許しを得て、汽車や船、飛行機を乗り継いでの渡仏だったという。留学中、フランス語教師に勧められるままオーディションを受け、いきなり映画のメインキャストに抜擢され俳優デビュー。パリ中の駅に、長塚さんが主演女優とドーンと真ん中に写った『パリの中国人』の映画ポスターが貼られたという。日本でもニュースになり、帰国するやドラマ『樹氷』(TBS系)に抜擢され日本デビューした。