都内にある緩和ケア病棟の一室。末期の肝臓がんを患った70代の女性は、ベッドの上でひとり、若い頃に家族と仲違いしたことを悔いるばかり。「こんな状態になる前に、会いに行って一言、謝ればよかった。私は何のために生きてきたんだろう」と自問する闘病生活を終えて最期を迎えた後でさえ、彼女を訪れる者はなく、業者が静かに遺体を引き取った。
一方、同じく末期の肝臓がん患者のHさん(70代/男性)が息も絶え絶えに横たわるベッドの傍らには、妻がつき添っていた。静寂が病室を包む中、Hさんがポツリとつぶやく。
「これまでありがとう……」
それは、照れ屋で無口な夫が妻に向けた、最初で最後の感謝の言葉だった。泣き笑いする妻を見つめて微笑んだHさんは、その数時間後に息を引き取った。めぐみ在宅クリニック院長の小澤竹俊さんが語る。
「死を間近に感じたとき、人は誰しも人生を振り返ります。そのとき自然と思い出されるのは、誠実に接してくれた人たちのこと。家族や友人だけでなく医療従事者も含めた周囲の人たちに、それまで以上に感謝の言葉を口にしてくださるようになるかたはとても多いのです」
悔いが残る最期を迎える人と、幸せに旅立っていける人。2つを分ける境界線は、どこにあるのだろうか。
「どうせ死ぬ」からこそ迷惑をかけてほしい
「当然のことですが、最期が近いことを知ると、まずはほぼすべての患者とその家族が“苦しまないようにしてほしい”と望みます」
そう語るのは、自身も子宮頸がんのサバイバーである緩和ケア医の田所園子さん。特に抗がん剤の副作用に苦しんだ末期のがん患者は、痛みを抑えることを強く望むという。
「緩和ケアの目的は、苦痛なく最期を迎えることだけではありません。私たちは、患者に残された最後の時間を後悔なく過ごしてもらうために痛みを取り除いているのです。そして、最期のときまでにやりたいことがあれば、その手伝いもします」(田所さん)
とはいえ、絶望に立たされた患者は、多くが「やりたいことなんてわからない」と答え、そして「人に迷惑をかけるくらいなら早く死にたい」と口にするという。だが「どうせすぐ死ぬなら」と心を閉ざしてしまえば、それこそが死の間際の後悔を招く。宮崎県の病院に入院しているFさん(77才/女性)は、医師から余命を告げられてからというもの、見舞いに来た娘や看護師にも、謝ってばかりだった。Fさんの娘が肩を落とす。
「いつ行っても“ごめんね、忙しいのに”と申し訳なさそうにするので、なんとか励ましたくて車椅子で散歩に誘ってみたんです。でも、母はやっぱり“そんなの申し訳ないわ、ただでさえ迷惑をかけているんだから”と消極的。結局、病気がわかってから亡くなるまで、一度も母の笑顔を見ることができませんでした。どうせ死ぬなら、もっとわがままを言って困らせてほしかった」