1980年にデビューし、その年に発売した『青い珊瑚礁』が大ヒットしたばかりの松田聖子(61才)も、淡谷さんは1980年10月の新聞のインタビューで《歌の土台ができていなくて、リヒィーッとニワトリが首を絞められたような声》と酷評している。
また、デビュー当時から高い歌唱力で知られた山口百恵さん(64才)にも厳しかった。
「1976年、当時17才ながら、『ひと夏の経験』などの人気曲を送り出し、『NHK紅白歌合戦』にも出場していた百恵さんの歌について尋ねられると『どうってことないですね。童謡だと思ってみてるから』とか、『鼻にかかったあの子の声、いったい何ですか』と雑誌のインタビューでバッサリ。インタビュアーを戦々恐々とさせたようです」(音楽関係者)
しかし、すべての歌手を毛嫌いしていたわけではなく美川憲一(77才)のことは「ケンちゃん」と呼び、わが子のようにかわいがっていたという。2人の出会いは1966年。美川の『柳ヶ瀬ブルース』がヒットした頃に雑誌で対談したことがきっかけだった。淡谷さんとの思い出を彼女の盟友、美川は次のように振り返る。
「淡谷先生は、デビュー間もなくて不安でいっぱいだった私を、『ケンちゃん、どんなことがあっても負けちゃダメよ』と励ましてくれました」
美川は、淡谷さんの厳しさについて「その人がきちんと努力をしているか、プライドを持ってやっているかどうかを見ていた」と話す。
「淡谷先生ご自身は毎日発声練習を欠かさなかったし、たとえ聴く人には姿が見えないラジオ放送でもドレス姿で歌っていました。ストイックな人だったからこそ、デビュー間もない若い人や、努力が足りないと感じた人に厳しかったように見えました」(美川)
「一緒にお風呂に入りましょう」
「辛気臭いから演歌は嫌い」と公言していた淡谷さんは、演歌界の新星にも当然、容赦はなかった。
1972年、人気歌手への登竜門といわれた歌番組「全日本歌謡選手権」に出場した当時21才の八代亜紀(73才)に対し、「あなたの声は歌手に向いていないわ」と辛口のコメントを残した。