「テレビ東京には“テレビ自体を脱構築する感覚”を持つ方が多い」
テレビ東京では、その『山田孝之』シリーズを筆頭に、高橋弘樹による『ジョージ・ポットマンの平成史』や上出遼平による『蓋』などフェイクドキュメンタリー的要素を持った作品が次々と生まれている。
「テレビ東京には“テレビ自体を脱構築する感覚”を持つ方が多いと思います。一見すると典型的なよくあるテレビ番組だけど、よく見てみるとその典型が脱構築されていて、既存のイメージを打ち破るような番組が多い。そういうところに魅力を感じてきたので、僕も自然とそれに影響を受けているのかもしれません」
一口にフェイクドキュメンタリーといっても様々な形式があるが、中でもフィクションであることが自明なドラマを、ドキュメンタリーの手法で撮った「ドキュメンタリードラマ」が多い。
しかし、大森が作るフェイクドキュメンタリー作品は、バラエティ番組のフォーマットを使用した、いわば、「フェイクバラエティ」だ。つまり、見かけ上ではバラエティ番組の体裁を取っているのだが、そこにフェイクドキュメンタリーの手法が組み合わさる。それ故、どこか放送事故的な不穏さが漂っている。
「放送事故的なものを作りたいというよりは、よく知ったものの一部が“ズレた”ときに、かなりドキッとするというか、自分の内部を侵食されるような違和感を狙っています。
ドラマよりもバラエティ番組のパッケージをそのまま生かすほうが、“ボタンの掛け違い”の感覚を与えられるかなと思っています。たとえばバラエティの生放送で出演者のひとりが急に喋らなくなって、5秒間じっと一点を見つめるだけでも、放送事故に見えるじゃないですか。
今放送されているバラエティは、すべてが流れるように進行していくから、滞りなさすぎるんですよね。1秒の間ですら、違和感があるくらい“殺菌”されたものになっている。だから、その滞りのない進行からちょっとズレるだけで事故っぽく見えるんじゃないかと思います」