京浜工業地帯で働く人々を乗せて走るJR鶴見線・安善(あんぜん)駅から10秒の『ほていや酒店』。「踏切と電車の音を子守唄に育った」と言う3代目店主の伊藤政彦さん(58歳)と「店に立つのが楽しい」と話す妻の薫さんが今日も笑顔で客を迎えてくれる。
政彦さんは、3代目を継ぐにあたって、店の外装を妻の好きなピンクに、内装を自分の好きな水色基調に塗り替えた。
「働いた後は、まずは冷たいのが飲みたいでしょ。だからうちはジョッキクーラーでジョッキをマイナス15℃に、缶の飲み物は1℃でキンキンに冷やしている。角打ちやってる店の中じゃ、最も冷えているんじゃないかな」と何よりもお客さんへのサービス精神が旺盛な店主が言う。
若い頃は先代と一緒に店を手伝っていたが、30歳になったときに、他の仕事も経験しようと決心、長年観光バスの運転手をしてきた。
「全国を回って美味しいものを食べてきたから、舌が肥えました(笑い)。つまみ用の料理も全部自分で調理していますよ。シメに食べてもらおうと肉汁のつけうどんをメニューに入れたんですが、つけ汁に合う麺にこだわって、10種類くらいは試してみました』(店主)
作り飽きたらメニューを変えるというが、常連からは、「あそこに行けば、うまいものを腹に入れられる、とわかってる店があるのがありがたい」(鉄鋼業、40代)と、料理も好評だ。
空が薄紫の夕焼けに染まる頃、店主はふいに表に出て、海の方を指さしながら「昔はガスタンクが二つあったんだよね」と教えてくれた。安善という駅名は、この地を開発した安田善次郎という実業家にちなむ。いまも石油、機械部品、造船の工場や、配送基地がある日本経済を支える工業地帯だ。
「バブルの頃は、定時にピシャッと工場が終わって、一気にお客さんが詰め掛けました。でも、ここんところの不景気で残業が増えて、定時に閉まらない工場も増えましたね。外国人の姿も増えてきたね。昔は小1時間で切り上げる人が多かったけど、いまはうちで長く楽しんでる感じだね」と時の流れを語る。