激しい怒声、涙ながらの厳しい言葉、諭すような静かな叱責──たとえそれがどんなに容赦ない言葉だとしても相手のためを思うがゆえの怒りには、“親心”が隠されている。いま各界で活躍する芸能人が時を経てなお心の糧にし続ける“叱られてよかった”と思い出すあの一言。
「あの世に行ったら、真っ先にひばりさんに謝りにいかなきゃね」
1960年代後半から1970年代にかけて、映画『新蛇姫様 お島千太郎』などで美空ひばりさん(享年52)の相手役を務めた俳優の林与一(81才)は、「ひばりさんにはそりゃあもう、こっぴどく怒られたから」と懐かしそうに振り返る。
大阪歌舞伎座で初舞台を踏み、その後、時代劇きっての二枚目スター・長谷川一夫さん(享年76)のもとで大衆演劇を学び、当時すでに人気役者だった林に、容赦なく「ダメ出し」をしたのがひばりさんだった。
「“お前さ、役者だろ。どうして私ができるのに、あんたはできないの?”“歌舞伎やって、長谷川先生にも教えてもらっているのにこんなことができないのはおかしい”とこっぴどく叱られた。“おれが下手ってことですか?”と聞くと“下手だね”ってはっきり言われたね。怒鳴るわけじゃないけど、有無を言わさぬすごみがありました」(林・以下同)
5才年上の昭和の大スターの言葉だが、当初は反発を覚えていたという。
「初めて会ったとき、ぼくは21才で生意気な盛り。“ぼくは役者、あの人は歌い手さん”って考えてたから、“なんでこんなことを言われなきゃいけないんだ”ってね。
あんまりこっぴどく怒られるから、2回くらい稽古場から逃げちゃったことがあるんです。親に『せっかく世間で“ひばり・与一”と言われて人気が出てるんだから大事にしなきゃダメだ』って説得されてまた稽古場に戻ると、ひばりさんもぼくにまた帰られちゃ困るからしばらく何も言わない。でも、数日もするとすぐにまた、“そこんとこ、できてないよ”と言ってくる(笑い)」
どんなに怒られても林がコンビを解消しなかったのは、ひばりさんの芝居の虜になっていたからだ。
「男役をやらせたらまさに天下一品。手本を見せてもらっている最中に見とれちゃってね。“わかったかい?”って聞かれて、“いや、すみません。あまりにいい格好で見とれちゃって”って言うと、“じゃあ、もう1回やるから”と、何度も手本を見せてくれました。
だけどどれだけひばりさんに手本を見せてもらっても、なかなか仕草が身につかない。手慣れていかないとまた叱られる。そう思って、教わった動きを自宅で繰り返し復習するようになりました」