誰かを叱らなければならないとき、真剣であればあるほど相手はもちろん、時にそれを口にする本人の心をもえぐり、深く傷つける。だがそれでも「ここで言わなければこの人のためにならない」と愛情を持っているからこそ、心を鬼にして怒りの言葉を相手にぶつける──。
日本を代表する俳優・高倉健さんの“怒ったふり”が「本当に怒鳴られるよりも心に染みた」と語るのは、高倉さん主演の日中合作映画『単騎、千里を走る。』(2005年)で撮影助手を務めた撮影監督(映画やドラマなど映像制作における技術面での総責任者のこと)の山田康介さん(47才)だ。「許されない失敗」が発覚したのは、撮影の終盤。高倉さんの出演シーンがクランクアップを迎え、セットをバラした翌日のことだった。
「別のセットを組んで撮影しているときに高倉さんのシーンの現像が上がってきたので、ぼくの師匠であるカメラマンの木村大作さん(84才)が確認に行きました。それをぼくも映写室でこっそり見ていたんです。するとぼくが任されていたシーンのピントが、高倉さんの顔ではなく帽子のツバに合っていて、高倉さんを呼んで撮り直しをせざるを得なくなった。あまりのショックに膝から崩れ落ちましたね」(山田さん・以下同)
高倉さんはもともと撮り直しがほとんどなく一発OKが当たり前だったということもあり、山田さんは余計に追い詰められた気持ちになった。
「どういう角度から撮られているのかを高倉さんはちゃんと理解して芝居をするから、ほとんど一発OK。だからワンカット、ワンカットが真剣勝負なんです。高倉さんは真冬の男鹿半島の撮影現場で下っ端のぼくにも“おお、寒くないか”などと気さくに話しかけてくれましたが、ぼくにとっては雲の上の神様のような存在。そんな高倉さんをもう一度呼び出すなんて……すべて投げ出して逃げてしまいたいというのが本心でした」
撮り直しはピンボケ発覚から1〜2週間後。山田さんは当日、組み直されたセットの入り口で高倉さんを待った。
「もう1回やっていただくことになり、本当に申し訳ございません」と平身低頭すると、高倉さんはいつもの穏やかな表情を浮かべながら「しょうがないよね。それはね、もう1回やればいいんだよ」と軽く言ってくれたという。
その後のことだ。
「高倉さんは“でも、大ちゃん(木村大作撮影監督)に、怒れって言われたからな”と言うとぼくの横をすり抜け、大道具の壁をドンッと叩いたり蹴ったりしながら、“ふざけんじゃねえよ”と怒鳴って、パッとセットに入っていったんです。ぼくに背を向けていたので表情は見えませんでしたが、ものすごい迫力でした。みんなはぼくがひどく怒られたと思ったでしょうね」