放送作家、タレント、演芸評論家、そして立川流の「立川藤志楼」として高座にもあがる高田文夫氏が『週刊ポスト』で連載するエッセイ「笑刊ポスト」。今回は、立川談志13回忌について綴る。
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「大谷の犬」と書くところを、慌てたので「犬谷の太」(いぬたにのふとし?)と書いてしまった。おどろく事が多すぎて酒もすすむ。作家と噺家(DJも)、昔から二刀流の私。落語の方の師である「立川談志の13回忌」がよみうりホールでの会とは別にノン君(談志夫人 我々はみんなこう呼ぶ)の御招待で上野の高名な中華料理店で開かれた。ノン君と2人の子供を中心に談志の直弟子達、毒蝮三太夫、野末陳平、私らにお呼びがかかった。他に親せきの方達もいらした。
結局蝮がギャーギャー騒いでいるうちにおひらき。ノン君のあいさつがバカうけ。「今日は本当言うと皆さんもあまり来たくなかったでしょう。洋服着がえたり電車乗ったり面倒くさいものね。私も本当に来たくなかった。でもこうしてみんなの顔見るとうれしいわネ。談志もそう思ってるわよ」。拍手カッサイ。
長男・長女が「高田センセー、最後にいつも通りビシッと締めちゃって下さい」。昔からいつも寄り合いがあると私と蝮さんがとびっきりバカなことを言って終わるのだが……と見ると蝮センパイ(日芸の先輩なのだ。お恥ずかしい)毒にでも当たったか人前で喋れる状態ではない。私が談志直伝の毒を少量盛り込んだあいさつをしてラスト。「今日で12年。13回忌なんですから今日をきっかけに、もう憧れるのはやめましょう」と大谷ジョーク。
すかさず機を見るに敏な談春がとんできて私に、「最初から憧れてなかった4人で写真撮りましょう」と大麻グミ並みのブラック。師匠の写真をバックにして志の輔、談春、志らく、私でピース写真。きっと談志師匠、はらわた煮えくり返っているだろう。でも何だかみんなみんな嬉しそうだった。
その晩、小言をくらう夢をみた。
さぁ12月は「森田芳光監督の13回忌」である。「談志お別れの会」をホテルで開いている時、スポーツ紙の記者達が大さわぎで私を探して「モリタ監督が亡くなりました」「えーーッ」その場にへたり込んだっけ。師を亡くし、すぐに私の一番弟子に去られるとは。森田は生前いつも洒落っぽく周りに「オレは高田センパイの一番弟子だから」と言っていた。年齢は私が1年上だが、「日芸」で「落研」で同じ「渋谷生まれ」でというシティボーイの子弟ボーイ。
衝撃のデビュー作が若き日の森田と私を描いた傑作『の・ようなもの』。この映画が公開された年、私は『ビートたけしのオールナイトニッポン』をスタート、たけしと共に世に出た81年である。森田の映画のお陰で落語界に若い人が入ってきた。そして『タイガー&ドラゴン』で2005年、落語ブームが起きた。
※週刊ポスト2023年12月8日号