激しい怒声、涙ながらの厳しい言葉、諭すような静かな叱責──たとえそれがどんなに容赦ない言葉だとしても相手のためを思うがゆえの怒りには、“親心”が隠されている。ただ、叱咤激励の言葉は、面と向かって投げかけられるとは限らない。
来秋、デビュー60周年を迎える歌手の水前寺清子(78才)はデビュー曲『涙を抱いた渡り鳥』をはじめ、数多のヒット曲を手がけた作詞家の星野哲郎さん(享年85)から歌詞を通して“愛あるお叱り”を受け取った。
「先生は私に歌詞を書くことで叱ったり励ましたりしてくれました。私は先生の歌詞に引っぱられて、自分を鼓舞し自信を持って歌い続けることができたのだと思います。私の心の内を見抜かれて驚いたことは一度や二度ではありません。
例えば、私が誰かに恋をしていると、“恋をしてもいいけど、こんなふうに生きなきゃダメだよ”とか“いまは恋より歌じゃないか”という歌詞を先生は作る。それを歌うことで、私は現実の世界でも“恋より歌だ”と思い直せました」(水前寺・以下同)
水前寺の大ヒット曲と言えば『三百六十五歩のマーチ』。「一日一歩〜」という誰もが知る名フレーズにも、ヒット曲を連発しておごりがちな水前寺を案じ、「これで満足するな。一日一歩でいいから前へ進め」と叱咤激励する星野さんの親心が込められていたと水前寺は語る。
「先生の歌詞はすべて私へのメッセージでした。たくさん励ましていただきましたが、私の非を非として叱責するようなことは一度もなかった。いつもまっすぐ、前に導いてくださった。私の恩人です」
1964年のデビューから1年余りで第16回NHK紅白歌合戦に出場。「出るものではなく見るもの」と思っていた夢の舞台に立った水前寺は、熱唱の途中で思わず涙があふれそうになった。だがそのとき、星野さんの言葉が脳裏をよぎり、ぐっと涙をこらえた。
「涙流して歌えないんだったら泣くな」
水前寺が当時を振り返る。
「“歌っていて泣きそうになることがある”と話したとき、先生からかけられた言葉だったと思います。周囲は“あぁ、また叱られているな”と思っていたかもしれないけど、私自身はそうは思わなかった。先生の言葉は自然にスーッと心の中に入ってきて、いざというときに思い出すことが多かったですね」
星野さんが名づけた水前寺の愛称「チータ」は本名の民子をもじった「小さな民子」という意味。恩人は2010年に亡くなったが、水前寺は「いまでも先生は私の傍らで囁いてくれます」と信じる。
「先生と出会わなかったら私は水前寺清子ではいられませんでした。舞台ではお客様に向かって歌うことはもちろんですが、必ず先生が聴いてくれていると信じています。私は先生が“チータ、よく頑張ったね。そろそろ休んでもいいよ”と手を差し伸べてくれるまで、一生をかけて星野節を歌い続けていくつもりです」
【プロフィール】
水前寺清子(すいぜんじ・きよこ)/1945年熊本県出身。歌手、女優、パーソナリティー。1964年に星野哲郎さんが作詞を手がけた『涙を抱いた渡り鳥』で歌手デビュー。翌年には同曲で『NHK紅白歌合戦』の初出場を叶える。現在もコンサート、ライブ活動を精力的に行っている。
※女性セブン2023年11月30日・12月7日号