【書評】『在日韓国人になる 移民国家ニッポン練習記』/林 晟一・著/CCCメディアハウス/1870円
【評者】井上章一(国際日本文化研究センター所長)
かつて、プロ野球選手の張本勲は作家の大江健三郎と、対談をしたことがある。そのさい、作家は在日韓国人であった張本の日本国籍取得をたしなめた。あなたの同胞は、「裏切られた気持ちがするでしょうね」、と。言われた張本も、「そうですね」と、これをみとめている(1961年)。
やりとりをふりかえり、著者は言う。うらぎらざるをえない在日のつらさに、大江は鈍感であった。一方的に、えらそうな民族観をおしつけている。自分はそんな大江に、「喝!」をつきつけたい、と。ここに、在日3世でもある著者のスタンスがうかがえる。
コリア系の人びとには、在日であれ帰化組であれ、さまざまな困難がある。彼らが生活のなかでぶつかるそんな問題の数々を、この本はおしえてくれる。大上段にふりかざす正論が、見すごしてきたところへの目配りは新鮮であった。読みごたえもある。
ところどころに、笑わされる箇所が、ないではない。にんまりしながら、しかしこれを笑ってもいいのかと、あちこちでとまどった。まっこうから正義の議論を聞かされるより、こういうユーモアのほうが心にひびく。たとえば、ヘイト・スピーチの品定めに、著者が興じるくだりなどでは、たじろがされた。
アメリカでは、1960年代に黒人の公民権獲得運動がひろがっている。「ブラック・イズ・ビューティフル」という標語も、とびかった。しかし、同時期の日本に、「コリア・イズ・ビューティフル」というかけ声は浮上しない。同じような運動はあったのに。
日本でくらすコリア系の人びとは、他の外国人にヘイトの言葉をぶつけることがある。フィリピン人へ、フィリピンへかえれと言ったりする。ガイジンへのまなざしまで日本化してしまう。こういう同化を、どう見たらいいのか。日本で生まれそだった私には、こたえることができない。また、問題として見いだすことも、かなわなかった。いろいろ考えさせてくれる本である。
※週刊ポスト2023年12月8日号