西城秀樹さんの急逝から5年半が経過。当時中学3年生だった長男の木本慎之介さんは二十才を迎え、父と同じ道を歩み始めた。大スターを父に持つがゆえの葛藤と覚悟。芸能界デビューを目前に控えた慎之介さんの、メディア初インタビュー。【前後編の前編。後編を読む】
* * *
「正直に言うと、生前、父のことを“すごい”と思ったことはありませんでした。なんでみんなから“秀樹さん、秀樹さん”と慕われていたのか理解ができなかった。でも、いまはわかります。誰よりも父に憧れ、尊敬し、ファンになったから。父のことをこんなふうに思えたのは、最近のことです。ぼくも音楽の世界で生きていこうと決めたから」
そう力強く語る彼の真っ直ぐ前を見据える瞳は、若かりし頃の父親によく似ている。木本慎之介さん(20才)。昭和の大スター西城秀樹さん(享年63、本名・木本龍雄)の長男だ。
11月12日、ヒロミ(58才)が主催するイベント『ハチオウジダマシイ Festival & Carnival2023』が東京・八王子市内のライブ会場で行われ、とんねるずの木梨憲武(61才)が大トリで登場。慎之介さんは、そのステージでバックコーラスを務めた。木梨が「西城秀樹さんの長男です」「まもなくデビュー。準備していますので、覚えておいてください」と紹介すると、会場に集まった観客は驚きの声をあげた。
「いきなりの登場で、皆さん驚いたでしょうが、ぼくにとってもサプライズだったんです。だって、出演が決まったのは3日前ですから。ぼくのドラムの先生から突然電話が入って、“コーラスが足りなくなったから”って声をかけてもらえて。ノリさんとはほとんど初対面でしたが、失礼のないようにと3日間で必死に10曲を覚えました」(慎之介さん・以下同)
この日のサプライズ出演は、多くのメディアで報じられた。慎之介さんにとって「西城秀樹」の名前の偉大さを改めて感じる一日になった。
西城さんは言わずと知れた大スターだ。1972年に16才でデビューすると、同世代の郷ひろみ(68才)、野口五郎(67才)と共に「新御三家」と呼ばれ男性アイドルのトップに君臨した。『愛の十字架』や『YOUNG MAN(Y.M.C.A.)』などのヒット曲を連発。のどが張り裂けそうなほどに全身全霊をこめて歌うスタイルは“絶唱型”と呼ばれ、多くのファンを虜にした。
しかし華々しい経歴を持つ一方で、西城さんの半生は病との闘いでもあった。2001年、一般人だった美紀さん(51才)と結婚した直後に脳梗塞を発症。回復したものの、2003年6月に公演先の韓国で再発してしまう。以来、何度も脳梗塞に見舞われたが、そのたびにリハビリに励みステージに立ち続けた。
長男の慎之介さんが生まれたのは2度目の発症の直後、2003年9月。その前年には長女が、2005年には次男が誕生し、西城さんは40代後半にして、3人の子供に恵まれた。慎之介さんが幼い頃の父の記憶を振り返る。
「地元の庶民的な飲食店や銭湯に通い、まったく飾らない人。普段は芸能人らしさを感じさせませんでしたね。怒られた記憶はほとんどなく、本当に優しい父でした。父がドラムをやっていた影響でぼくも5才からドラムを習い始めましたし、よく地元の川崎フロンターレの試合にも連れて行ってもらった。試合のハーフタイムショーに父が登場して歌うこともありました。それでぼくも“サッカーをやりたい”と思うようになったんです」
小学3年生で慎之介さんが入団したサッカークラブは、OBに三笘薫選手(26才)や権田修一選手(34才)ら、日本代表選手を何人も輩出する名門中の名門だった。
「最初はなかなか試合に出ることができなかったのですが、父と母が見に来てくれていたから、試合に出られないのが悔しくて……毎日、必死に練習して、6年生の頃にはレギュラーを勝ち取れました」