日本語を母語としないながらも、今は流暢でごく自然な日本語で活躍している外国出身者は、どのような道のりを経てそれほどまで日本語に習熟したのか。日本語教師の資格を持つライターの北村浩子氏がたずねていく。今回は、ベトナムからの技能実習生として来日し、現在は大学院で学びながら、母国の農業に寄与したいと志すゴー・ティ・トゥー・タオさん。自身の日本語がレベルアップしたと感じたのはどんなときだったのだろうか──。【全4回の第3回】
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日本最北の国立大学、北見工業大の博士課程で研究に励むタオさん。技能実習生として来日した2017年は日本語がほとんど聞き取れなかったというが、今では日本人の友人ももちろんいるし、世界各国から来ている留学生とも日本語で交流している。その道のりについてさらに伺ってみよう。
「ベトナム語は動詞や形容詞が変化しないので、日本語の活用のルールを覚えるのは最初はちょっと大変でした。でも今、本を読んでいて知らない言葉にぶつかっても、ルールを当てはめて『あ、こうかも?』って推測できる。だから基礎は大事かなと思います。
漢字は、難しいですけど、書くのは面白いから嫌いじゃないです。一つ書けたら、あ、すごいな、自分これ書けるようになったんだって嬉しくなります。
一番難しいのは、発音ですね。文章を大きい声で読んで録音して、それを聞いて直して、を繰り返して練習していますけど、研究について発表するとき、先生に注意されることもあります。あります、というか毎回ですね。発音を間違えたら別の言葉に聞こえてしまうし、そうすると聞いている人に内容が分からなくなってしまう。専門用語もあるので、苦労しています」
でも、来日時にはタオさん曰く「挨拶だけ」だったのが、今は専門用語を使って研究できるまでになっているのだ。その間(かん)に、自分の日本語がレベルアップしたとはっきり感じた瞬間があったに違いない。
「多分、それは日本に来て3年目の、北見工大の修士課程に進学するときの試験ですね。ベトナムの大学で学んだこと、研究内容を5分間にまとめて発表する試験だったんです。
そのときはまだ工場で働いていたので、研究についての資料を渡して、工場のおじいさん、おばあさんに聞いてもらいました。そうしたら、おじいさんがちゃんと資料を読んで内容を調べてくれたんですよ! ただ私が一方的に話すだけじゃなくて、話したことについて質問する役をやってくれたので、本番みたいな感じで練習できました。おばあさんも熱心に聞いてくれて。だから当日も安心して、自信をもってできました。
今思い出すと、もう夢中で一生懸命喋ったので、何を話したのか覚えていないんですけど(笑)、大学の先生たちが『タオさんの研究がよく分かりました。いいですね』って言ってくれて、ああ、自分の日本語が伝わったんだ、うまくなったのかなって思いました」