42年ぶりの続編が出版され、アニメ映画も公開される黒柳徹子さん(90才)の『窓ぎわのトットちゃん』。さまざまな逸話がある黒柳さんについて、コラムニストで放送作家の山田美保子さんが綴ります。
世界観を通じて戦争のことを知ってもらいたい
国内で累計発行部数800万部、海外を含めると累計2500万部を突破する“出版史上空前の大ベストセラー”黒柳徹子サン(90才)著『窓ぎわのトットちゃん』(1981年)から42年。同作の続編、その名も『続 窓ぎわのトットちゃん』が売れています。
“1981年版トットちゃん”では、なんといっても、いまの徹子サンを作り上げたともいうべき『トモエ学園』でのエピソードが印象的でした。
「私の人生で『トモエ学園』時代ほど楽しい日々はなかった」と徹子サンがいまも振り返るように、おてんばで、自由気ままで奔放だったトットちゃんに「君は、本当は、いい子なんだよ」と言い続けてくれたという小林宗作校長。その背景には、トットちゃんの扱いに困っていらしたほかの先生や、「いい子ではない」と思っていたかもしれない同級生の存在があったのでしょう。
小林校長に「いい子」と評価してもらうたびに、跳びはねながら笑顔で「そうです、私はいい子です!」と言っていたトットちゃん。
『トモエ学園』で多くの“事件”を起こしつつも、伸び伸び育った少女の物語は大きな反響を呼んだものです。
社会現象にもなった大ベストセラーの続編については、当時から考えていらっしゃらなかったという徹子サン。「もう書かなくていいと思っていた」そうです。
でも再びペンを執ったきっかけになったのはウクライナへの軍事侵攻。深く心を痛めた徹子サンは、自身の戦争体験をトットちゃんの世界観を通じて記そうと決意なさったのでした。
『窓ぎわのトットちゃん』のラスト、『トモエ学園』は空襲に遭って焼けてしまいます。続編は徹子サンの疎開先だった青森での暮らしについても書かれています。
徹子サンと私の母は2才違い。共に東京生まれ、東京育ちですから、同年代の少女として第二次世界大戦を経験しています。
私の母は第二次世界大戦で父と兄を亡くしていて、特に最愛の兄の戦死については、いま思い出してもつらくて悲しいと時折、聞かされます。つい先日も、「学徒出陣」の壮行会から80年が経ち、生きて帰って来られた元学徒兵のかたが100才を過ぎたいまでも厳しい体験を語り継いでいらっしゃるニュースを見た母から想いを綴ったFAXが届いたばかりです。「涙が止まらない」と……。戦争の傷痕はとてつもなく深く、いまも癒されてはいないのです。