生き馬の目を抜く芸能界の中でもとくに、売れる確率が3%といわれる「お笑い」はブレーク後も先輩後輩らとしのぎを削る厳しい世界だ。そんな中、約40年にわたってお茶の間に愛されてきたダチョウ俱楽部。最近は歌謡コーラスグループ『純烈』とユニットを組むなど、結成39年目にしてさらに活動の幅を広げている。
「純烈とのユニット活動では、ぼくもジモンも“新メンバー”だから、とにかくリーダーの酒井(一圭)さんに絶対服従。でも、岩永(洋昭)はちょっと下かなぁ(笑い)」(肥後・以下同)
昨年純烈に加入したばかりのほぼ“同期”の岩永をイジり、笑いながら話す肥後克広(60才)。ダチョウ倶楽部のリーダーである肥後に長く愛されてきた理由を聞いてみると「人に頼ることを覚えたことが大きいんじゃないかな」という答えが返ってきた。
「若い頃は多少なりとも“後輩には負けられない”というプライドはありましたけれど、10年くらい前、ちょうど50才になった頃から、テレビ業界のコンプライアンスが厳しくなったりSNSで拡散されたことがニュースになるようになったり、お笑い界に変化の波が一気に来たんですよね。それまでは、例えば仕事で地方に行くと『大分に行った時、コイツがまた女遊びをして……』なんて調子で笑いを取るのが鉄板だったけれど、コンプラ的に難しくなってきて。居酒屋で『お姉さん、かわいいね』と話しかけるのもダメだし、スチュワーデスさんはCAさんで看護婦さんは看護師さんと呼ばないと差別になる。古い考えだと、そのへんの“感覚”がわからないから、もうさすがに後輩に教えてもらわないと無理だと悟ったんです」
要するに「ギブアップした」と振り返る肥後は、還暦を迎えたいま、仕事面以外においても「頼ること」の恩恵を受けながら生活するようになったと続ける。
「これは“老い”がいちばんの理由ですね(苦笑)。人生100年時代なんて言われるけれど、男は60代になったらもう“クソじじい”だと思う。芸能界の先輩を見回しても、谷村新司さんも志村けんさんも70代で亡くなっているし……。俺だって階段を登っていると自分が思っているよりも足が上がっていないし、日光を浴びると脳天が熱くなるくらい髪も薄くなった。昔はオシャレで帽子を被っていたけれど、いまは被らないと頭が熱くなってしんどい。だから無理せず荷物が重いときは『これ持って』とためらわず周囲に頼むし、苦手なSNSは『わかんないからやって』と全投げ。もちろん最初は“やってみたいから、教えてよ”と頼んでみるけれど、結局わからなくて全面的にお願いすることがほとんどです」
そんな風に相手に「全乗っかり」しても不快に思わせないために肥後が心がけているのは「積極性」と「柔軟性」を持って頼ること。