本誌前号(12月15日号)の特集「健康診断は嘘をつく」では健診の判定に踊らされてはならないと警鐘を鳴らした。今回はその判定を決める「基準値」について掘り下げる。そこから外れると“患者”となり薬を出されるが、その数値は「国によって異なる」という。我々はどう向き合えばいいのか。
目次
監修・取材
・東海大学名誉教授(医学統計学) 大櫛陽一氏
・医療経済ジャーナリスト 室井一辰氏
・内科医(米国在住) 大西睦子医師
・精神科医 和田秀樹医師
・ふくろうクリニック等々力理事長 老年科医 山口潔氏
・俳優 梅沢富美男氏
・多摩ファミリークリニック院長 内科医 大橋博樹医師
血圧140を超えたら降圧剤を出す日本。薬に頼らない英国
「近年、欧米の“基準値”が更新され、私が10年前から主張してきた水準に近付いてきました」
そう語るのは、医学データ解析に詳しい東海大学名誉教授の大櫛陽一氏(医学統計学)だ。
11月21日に公表された英国の国立医療技術評価機構(NICE)の「高血圧診療ガイドライン」改訂版では、心血管系障害がない人の治療開始基準が「(収縮期血圧)160mmHg以上」と記載されている。
「そもそも欧米には日本のような健康診断はなく、項目別の“健康基準値”も設定されていません。治療開始が『160以上』の英国基準に比べると、日本高血圧学会の『140以上』という高血圧の基準がいかに厳しいものかわかります」(大櫛氏)
各専門医学会でガイドラインが作られ、“基準値”が設定される日本に対し、英国では政府機関管轄下のNICE(1999年設立)が診療ガイドラインを策定する。
その議論には現場の医師ら医療関係者に加えて患者団体などが参加しており、「各治療法に対する費用対効果を明確に定義している点が、国際的に高く評価されている」(日本製薬医学会HP内の説明)という。
医療経済ジャーナリストの室井一辰氏が言う。
「NICEは改訂が頻繁な点も評価されています。診療ガイドラインが細かく変更されることで、高血圧の常識もどんどん変わる。11月の最新版では、症状に応じて仰臥位(仰向け)や座位など姿勢を変えて血圧を測定し、数値の変化に応じて薬の見直しなどを医師と相談するよう定められました」
治療に際しての運用も日本に比べて厳密に規定されている。
「2019年に患者が血圧160超から服薬を検討するよう定められ、現在までその点は変わっていません。降圧剤の使用については、『病院血圧で160以上、その後の家庭血圧で150以上が続く場合』とされています。診断時に数値が高くても安易に薬を処方しない意向が読み取れます」(同前)
一方、日本では高血圧治療が始まる目安となる健康診断の基準値が下がり続けてきた。
「40年前の厚生省基準では上が180以上で『要治療』、その後も『年齢+90』が基準とされていたのが、2000年頃から日本高血圧学会が数値を徐々に厳格化しました。最新の『高血圧治療ガイドライン』では病院血圧で140、家庭血圧で135を超えると高血圧と診断され、降圧剤の投与が検討される場合があります」(大櫛氏)
米国は150を超えてから。日本と異なる正常値
英国以外の先進国と比べても、日本の基準値の問題点が浮き彫りになってくる。日本では年齢や性別に関係なく同じ基準が適用されるが、米国で「個人差」が重視されているのとは対照的だ。
米国在住の内科医・大西睦子医師が言う。
「米国では加入する医療保険に応じてプライマリー(かかりつけ医)が決まり、その医師が患者ごとに必要な予防健診をオーダーします。治療ガイドラインや基準値は日本のように一律ではなく、政府、学会それぞれが定めています。それらを参考に医師が患者と相談のうえで最適な治療を考え、個別対応しています」
米国政府の合同作成委員会が2014年に発表した新基準(JHC8)では140という基準を年齢によって引き上げ、「60歳以上で150以上」が高血圧とされた。
「それだけでなく、60歳未満では収縮期(上)の基準を定めること自体、『科学的根拠がない』と指摘しています」(大櫛氏)
年齢や性別、生活習慣などの違いにより、患者ごとにアプローチが異なるのはごく自然なことに思える。日本で見られる一律の「基準値」の厳格化の背景には、降圧剤を売る製薬業界の影響力も見え隠れする。
精神科医の和田秀樹医師が言う。
「十分なエビデンスがないのに短期間のうちに基準値が下がり、“高血圧患者”が増えていった背景には、製薬企業と医療界がつくる“医療ムラ”の癒着構造が指摘されています。10年前には、製薬企業のノバルティスファーマが降圧薬ディオバンの効果を良く見せるために研究論文の改ざんまで行ない、問題になりました」
基準値が厳しいほど、降圧剤が処方される機会は増える。問題は血圧を薬で抑えることで、自身の体調にリスクが生じる点だ。和田医師は「薬で血圧を過度に下げる」ことで起きる問題について、自身の体験をもとにこう指摘する。
「私は220あった血圧を一時140まで薬で下げましたが、頭がフワフワして具合が悪くなりました。現在は170程度にコントロールし、元気に過ごしています」
健診の基準値にとらわれることにはリスクもある。では、血圧の数値について、どう考えればいいのか。
70万人調査でわかった「血圧の健康基準値」
大櫛氏が全国70万人の健診結果を用いて男女別・年齢別に解析したところ、男性は60代後半なら上が165まで、70代前半なら170近くまでが健康な人の「基準範囲」と判明したという。
大櫛氏が解説する。
「2004年の日本総合健診医学会で発表した研究結果です。地域的な偏りが生じないような統計的手法に基づき、いわゆる正常値である『基準範囲』を算出しました。これは、男女差と年齢差を考慮したものとして日本初です。
そもそも高齢者の血圧が高くなるのは老化による生理現象。20歳の男性と、80歳の女性を同じ基準で判断できるわけがない。健診の数値は男女別・年齢別でなければ意味がありません」
かつての和田医師のように、血圧を薬で過度に下げたケースでは深刻な副作用を生じることも判明したという。
「ふらつきによる転倒事故などのリスクが高まるほか、日本人を対象にした降圧剤の試験や市町村住民を追跡した複数の研究でも、降圧剤で血圧を20以上下げたグループは、そうでないグループより脳梗塞発症率や死亡率が高くなっている」(大櫛氏)
現在、降圧剤を服用中の人は改めて自身の体調と向き合ってほしい。不調を感じるなら、迷わずに医師に伝える。「数値」だけで健康は測れないからだ。
メタボの指標「BMI」の基準値も厳しい日本
「日本人は成人後、痩せたままの人や体重が減った人のほうが死亡リスクが高い」
米アリゾナ州立大学の研究者らが発表した論文が10月25日付で英医学誌のオンライン版に掲載され話題になった。
日本全国に住む40〜69歳を20年以上にわたり追跡する研究データ(6万超の症例)を用いてBMIの変化と死亡リスクとの関連を調べたところ、低体重のままの人と体重が減った人は、(正常体重の範囲内で)体重が増加した人よりも死亡リスクが高かったという。
健康診断で血液検査の数値とともに注目されるのが、身長と体重をもとに算出され、肥満の目安とされるBMIだ。腹囲などが診断基準のメタボと並んで気になる数値だが、このBMIも日本の基準は世界と比較して厳しいとされる。
WHOの基準ではBMI30以上を「肥満」と定めているが、日本では25以上。日本基準では男性の33%、女性の22%が肥満とされるが、実は国際的な基準(30以上)に当てはめると、その比率はわずか4.5%まで減る(厚労省「国民健康・栄養調査」2019年度)。
前出・大櫛陽一氏の住民追跡調査でもこんな結果が出たという。
「最も死亡率が低かったのは今の基準で『メタボ(異常)』とされるBMI25を上回る25〜26.9までの群でした」(大櫛氏)
肥満と診断されたら、痩せることに注力する人も多いだろう。しかし、老年科医の山口潔氏(ふくろうクリニック等々力理事長)は、「年齢を重ねた人は特に、体重を減らさないよう心掛けるほうがいい」と指摘する。
「25以上が肥満とされるのは心血管疾患予防のためですが、50代までの人に当てはまる話。60代を過ぎるとフレイル予防の観点から、痩せすぎないことが大切になります」
60代以降はフレイル予防の努力が必要
フレイルとは、2014年に日本老年医学会が提唱した用語で、健康状態と介護が必要な状態の中間を指す。加齢により身体機能や認知機能の低下が見られる状態のことだ。
山口医師は患者の要介護の危険度を見極めるために、「体重減少」「疲れやすさ」「歩く速度の低下」「握力低下」「身体活動量の減少」の5つをチェック項目としている。BMIの数値の変化は「体重減少」に直結する。
「体重減少はがんなどの病気を除けば食事摂取と運動量の低下が原因です。50代以降は骨や筋肉量が急速に減るため、痩せている人ほど老後のために筋肉や骨の量を蓄える必要があります。60代以降は食事や運動で筋肉や骨、脂肪を維持することが重要です」(同前)
BMIについて研究する桜美林大学の鈴木隆雄特任教授は、体重が減ることで様々な疾患リスクが高まると警鐘を鳴らす。
「年齢別にBMIを見て最も死亡リスクが低いのは65歳以上で23〜24、75歳以上で25くらい。高齢期は小太りが望ましいのは間違いありません。体重減少が及ぼす影響は筋肉や骨格の機能低下だけでなく、脂質が足りないことにより細胞膜の防御力が弱くなり、感染症に罹りやすくなったり、がんの発症が増えたりすることが考えられます」
高齢になったら、それまでの健康常識は覆り、むしろ「痩せないための努力」が必要になるのだ。
11月で73歳になった俳優の梅沢富美男も「筋肉を減らさないよう肉や魚などのタンパク源を積極的に摂っている」と明かす。かつてはライザップのCMに出演し、鍛え抜いた端正な体を披露していたが──。
「2018年にライザップに挑戦した時は我ながらかっこいい体型になったのですが、舞台の女形をやるためにも7キロほど体重を戻しました。それでも一番太っていた時より筋肉は増え、体重はベストの75キロが維持できています」(梅沢)
これまで血圧や血糖値などの問題を指摘されたこともなく、「薬とも無縁」だという。日々、痩せないための食事を意識するなかで、「食べられる体力づくり」が大事だと実感している。
「周りで食べられなくなった人が体調を崩すことが増えてきており、『食べられる体』を維持することが大事だと思いました。食べられなくなると誤嚥性肺炎や骨折、寝たきりのリスクもグンと高まると聞きました。
私が今も常に気を付けているのは朝食を必ず摂ること。あとは好きなものをたくさん食べることです」(同前)
日本人男性はBMIが高いほどボケにくい?女性は?
BMIに関連して注目される研究結果がもう一つ発表された。
新潟大学の研究者らがBMIと認知症リスクの関連を調べたところ、「日本人の男性はBMIが高いほど認知症になりにくい」との結果が出たのだ。
今年8月、アルツハイマー病の学術誌に掲載された同論文によると、新潟大の研究者らは40〜74歳の日本人1万3802人を対象に8年間の追跡調査期間を伴うコホート研究を実施。BMIと認知症リスクの関連に性別の影響があるかを調べたという。
なお、女性はBMIと認知症リスクの間に“U字型”の関連が認められ、痩せていても肥満でも認知症リスクが高かった。痩せている人のリスク増は男女で共通している一方、論文は、「過体重や肥満は女性のみで認知症リスクを上昇させる可能性」を指摘している。
前出・山口医師が語る。
「低体重のほうが認知症になりやすい可能性があるのは、食事の摂取量が減る結果として、脳に必要なビタミンやDHAやEPAなどの必須脂肪酸が少なくなり、認知機能の低下につながるのではないかと推測されます。痩せて筋肉が減ることで、筋肉で産生されるマイオカインというホルモンの働きが弱まる。そのため結果に男女差が生まれたのは、認知機能にかかわる閉経後の女性ホルモンの影響が大きいのかもしれません」
太りすぎはいけないが、過度のダイエットは健康を害する可能性があることを忘れてはいけない。
欧米医療界から批判「日本の血液検査はおかしい」
健康診断の項目で、血圧やBMIと同様に基準値との比較により「異常なし」や「要精密検査」などの判定が出される「血液検査」。
だが、これらの基準値も絶対視はできないという。前出の大櫛陽一氏が言う。
「2008年にスタートした特定健診(メタボ健診)の基準は基本的に各臨床学会の基準。統計処理の不正もありましたし、あくまでリスク発見のためであり、基準を少しオーバーしたくらいですぐに病気を心配する必要はありません」
血液検査で中年以上の男性が指摘されやすいのが「脂質」に関する数値。なかでも悪玉と呼ばれるLDLコレステロールが高いと問題視される。現行の指標では120mg/dl以上なら保健師らによる保健指導が、140以上なら受診勧奨となる。だが、海外では基準値が異なる。
「例えば、米国心臓病学会のガイドラインでは、LDLコレステロールは190以上が精密検査の基準です。日本動脈硬化学会による基準は独自に定めたもので明確な科学的根拠が示されず、欧米の医療界からは“日本の基準はおかしい”と批判されたほどです」(同前)
そもそもコレステロールは「あまり気にする必要がない」という。
「コレステロールは細胞膜やホルモンの材料になる脂質で、特にLDLコレステロールはそれを細胞に運ぶ働きをします。不足すると、身体に必須の物質が行き渡らなくなってしまう。60代前半の男性なら183までは基準範囲内です」(同前)
内科医の大橋博樹医師(多摩ファミリークリニック院長)もこう語る。
「LDLコレステロールの数値については日本でも医師たちの間で議論されており、健診の基準は120以上と一律ですが、現在、脂質異常症ガイドラインには、糖尿病の数値が正常で基礎疾患がないなどの条件付きで『180までは様子を見る』と書かれるようになりました」
肝機能で重視すべき項目はγ-GTPではない?
同じく動脈硬化などのリスク要因とされる「中性脂肪」はどうか。
「欧米では2013年に中性脂肪の値が1000mg/dl以上で要精密検査となりましたが、日本の基準は以前と変わらず『150以上で保健指導』と厳しいままです。日内変動が大きい中性脂肪は、250を超えても肝機能の異常や急性すい炎の症状がなければそれほど心配する必要はありません」(大櫛氏)
海外では一般的には検査すら行なわれない項目もある。米国在住の内科医・大西氏が言う。
「肝機能の項目にあるγ-GTPや、痛風や結石の原因となる尿酸値は、海外の血液検査では通常は測りません。以前、米国の友人が日本で検査を受けた際、『肝機能に何も異常がないのにγ-GTPを測られた』と驚いていました」
大櫛氏も肝機能についてはALTやASTなどの数値を重視すべきと指摘する。
「γ-GTPは飲酒量に比例するもので、基準値の51を超えたらアルコール摂取を見直せばいい。それよりも肝臓の障害の有無を判定するなら、ALT、ASTに異常がないかを気にしたほうがいいでしょう」
大西氏は「痛風」の目安となる尿酸値についても米国の事情をこう語る。
「尿酸値も通常の血液検査としては行なわれません。ただ、もちろん痛風の症状が現われる人は米国にもいるので、症状が疑われる人だけが測定します」
最後に患者数の多い糖尿病の診断基準となる血糖値については、空腹時血糖値(糖尿病の診断基準は日本糖尿病学会の126mg/dl以上)とHbA1c(6.5%以上)が用いられる。
「これは欧米の診断基準と比べても概ね差はなくなりました。ですが、年齢別になっていないため、この診断基準は若年では早期異常を見逃す恐れがあると考えます」(大櫛氏)
多くの専門家が指摘するように、年齢や体格、生活習慣などにより健康の目安となる「数値」は変わる。医師と相談しながら、自身の「健康基準」を知っておきたい。
※週刊ポスト2023年12月22日号