没後30年となった今太閣・田中角栄。毀誉褒貶はあれど、国民の記憶にいまも残り続ける「角さん」の姿は、現代の為政者にこそ求められるものかもしれない。『日本の政治 田中角栄・角栄以後』(講談社刊)の著書があるジャーナリストの田原総一朗氏が「角栄論」を語った。
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岸田首相が防衛費倍増を決めたのは、明らかに米国の要請によるものだと私は見ている。安全保障を米国に委ねる日本にとって「拒絶」の選択肢はなかったはずだ。
世界各地で起こる紛争介入は、もはや米国だけでは手に負えない。だからこそ、日本にも負担を求めてきた。ならば、日本もものを言えばいい。いま再び、長年の対米従属から脱し、独自外交に舵を切る好機が訪れているのだ。
振り返れば、歴代日本総理のなかで、米国依存からの脱却に本気で取り組んだのは田中角栄しかいない。当時は米ソ冷戦の真っ只中で、第4次中東戦争がオイルショックを招いた。まさに、ロシアのウクライナ侵攻を巡る米露対立の激化、イスラエルのガザ攻撃で中東が不安定化している現在の国際情勢と非常に似ていた。
あの時、角さんが展開した資源外交は、これからの日本外交が取り得る一つの針路を示唆していると考えている。
〈角栄は「無資源国」の日本が石油輸入のほとんどを欧米の石油メジャーに依存していることに強い懸念を抱いていた。通産大臣時代にはサウジなどで油田の自主開発に力を入れ、首相に就任すると、米国メジャー依存を脱するため全方位の資源外交に乗り出し、1973年9月にフランス、英国、西ドイツ、ソ連を訪問し首脳外交を展開した〉
角さんはフランスと油田の共同開発、英国では北海油田への開発参加、西ドイツとも「日独資源問題合同委員会」の設置など具体的な事業計画を次々に決めていった。とくにフランスとは、石油だけではなく、ニジェールでのウラン鉱共同開発や、米国に全面依存していた濃縮ウランの加工委託まで表明した。まさにエネルギー面で米国からの自立を図ろうとした。
ちょうどこの欧州歴訪中に第4次中東戦争が勃発。エネルギーの輸入先の多角化を図ろうとする角さんの先見の明を示したが、これが「田中は反米だ」と米国を怒らせることになった。