【著者インタビュー】春日武彦さん/『自殺帳』/晶文社/1980円
【本の内容】
この本には「はじめに」が2つある。ひとつめの「はじめに」にはこうある。《わたしはこの本で少しばかり自殺について考察を巡らせてみたい。それが無益な試みであろうことは分かっている。しかし自殺に嘲笑され翻弄されるばかりでは面白くない。こちらから自殺を弄んでやるくらいの態度で向き合ってみるのもひとつの作戦ではないのか》と。そして「はじめに(別ヴァージョン)」には《この著作では我々が自殺に対して(腹の底でひそかに)感じたり思う「ろくでもない」部分に重点を置いて筆を進めていく》と。全12章のスリリングな論考は、これから先、万が一自殺念慮に苛まれたときの心の防波堤になる(気がする)。
いまさらそんな説教臭いこと言って意味があるのか
自殺の知らせを聞くと、痛ましい、と思う一方で、なぜ? どうして? と理由を知りたくなる。
『自殺帳』は、精神科医として患者を診てきた長年の経験に加え、本や新聞・雑誌記事などにも幅広くあたって、自殺について深く掘り下げていく本だ。
自殺はよくないとか、こうすれば止められるだろうとかいったありきたりな言葉は、すがすがしいほど出てこない。
「いまさらそんな説教臭いこと言って、なんの意味があるんだって話ですよ。そういう建前みたいなのがほんとに嫌いで、だから精神科医が書く自殺の本ってつまんないんだと思う。ある程度、予測がつくのって、結局はうつ病ぐらいだから、うつ病の話ばっかり書いてある。それよりも医者ができないこと、自殺は分からないってことをちゃんと書けよと思います」(春日武彦さん・以下同)
「分からない」というのは本書のキーワードである。《自分のことが分からないのと、自殺に至る精神の動きが分からないのとは、ほぼ同じ文脈にある》という一文を読んで、確かにそうかもしれないと思った。
「最終的に『分かりっこない』というのが前提です。結論は出ないと思って書いていて、そこが面白くもあり、虚しくもあるところなんだけど、だからと言って、最初から考えることを放棄するのもまた違うと思っています」
これまで主治医として担当してきたなかで自殺した人は20人を超えるが、前兆といえる行動があったのはそのうち一人で、その人以外はすべて、突然のことで、困惑したそうだ。
「よく『(自殺の)徴候があった』なんて言いますけど、そんなの見たことないですよ。もしあれば当然我々だって動きます。うつ病の人で、これはまずいなっていうときは、入院させるとか何かしら手を打ちますしね」
唯一、前兆を感じたという自殺者が、第1章「胃の粘膜」で描かれる、顔の皮膚に変調をきたした人のことだという。
「第1章で書いた人と、最後の第12章に書いた人のことは強く記憶に残っていて、彼らの追悼の意味もこめて何らかのかたちで書き残したいと思っていたのが自殺をテーマにした本を書こうと思った理由のひとつです。小説で書こうとしたんですけど、あまりに作り込んだ感じになって、うまくいかなかったですね」
2人の自殺にまつわるエピソードに、人間の「分からなさ」の底はどこまでも深いと思わされた。つげ義春の漫画を連想させる不可解な展開は、逆に小説になりにくいかもしれない。
自殺を描いた文学作品も紹介されている。たとえば井上靖の「ある自殺未遂」という短篇は、不運な出来事が重なり、最後にほんの些細なことで死へと踏み出すまでの心理と行動が克明に描かれる。主人公は助かったからこそ語り手になるわけだが、もし自殺が成功していたら、残された周りの人間には分かるはずのない心の動きが書かれている。
『自殺帳』を書こうと思った理由はほかにもあった。
「10年以上前ですが、ぼくの本を読んで『この作者はいつか自殺しそうな気がする』ってブログに書いている人がいましてね。道端の易者に呼び止められて『おぬし、死相が出ておる』と言われた気分ですよ。自分では分からないけど他人からはそう見えるということもあるのか、と思ったことも『自殺』が気になった理由のひとつではあります」
華厳の滝に身を投げた、後追い自殺を次々出した藤村操や、三原山で2人の級友が相次ぎ自殺するのを案内して見届けた女学生の話から、80通とか120通もの大量の遺書を残して自殺した人の話も出てくる。
こうした記事の載った古い雑誌は目録でも買うし、都立松沢病院に勤務していたときは、はす向かいの大宅壮一文庫(雑誌の図書館)で時間のあるときにあたっていたそう。古今のさまざまな自殺を7つの型に分類し、考察していくが、「分からない」部分は残る。
自殺って、ユーモアを入れないと語りきれない気がする
「例えばある会社の部長が自殺して、女装が趣味でハイヒールを履いて歩いているところを写真に撮られた、なんていう話があったとしたら、それが原因だと思っちゃうでしょう? 確かに説得力はあるかもしれないけど、本当かどうかは怪しいものです。我々はそういう説得力みたいなものを常に求めているだけなんです」
ジャーナリズムで働く人間にとっては耳の痛い話である。
自殺者に対して感じる、人間の下種な興味、ろくでもない部分についても焦点が当てられている。外からはうかがいしれない自殺者の心理に、時々つっこみを入れたり、茶化してみたり、少し距離を置いているところが、この本を読むときの救いにもなる。
ウェブで連載している途中、書きあぐねた時期もあったそうだ。
「自殺について延々と調べていくと、だんだんいやになっていくんですよ。自殺って、シリアスなだけでなく、どこかにユーモアを入れないと語りきれない気がするけど、その加減をどうするかが難しくて、どうまとめたらいいか分からなくなってしまった。
ものを書くとき、なめた態度、ふざけた態度がぼくは自然と出ちゃうんだけど、これは体質的なものだと思う。そうやって自分を救ってるところはあるかな」
『自殺帳』には「はじめに」が2ヴァージョン収録されている。すでに書いたのに、なぜか錯覚してもう一度「はじめに」を書き、せっかくだからと両方、載せた。
「どっちにしようかなと思ったんだけど、『はじめに』が2つある本なんて今までにないし、前代未聞でしょ? そういうくだらない工夫はいろいろするんです」
一見ふざけているようだが、トーンの違う2種類の「はじめに」を読むことが、読者には行き届いた導入になっている。
【プロフィール】
春日武彦(かすが・たけひこ)/1951年京都府生まれ。日本医科大学卒業。医学博士。産婦人科医として6年勤務した後、精神科医に転進。都立精神保健福祉センターを経て、都立松沢病院精神科部長、都立墨東病院神経科部長、多摩中央病院院長、成仁病院院長などを歴任。『不幸になりたがる人たち』『幸福論』『無意味なものと不気味なもの』『鬱屈精神科医、占いにすがる』など著書多数。現在も臨床に携わるが、2024年3月に臨床医を辞めると決断したことが「おわりに」に綴られている。
取材・構成/佐久間文子
※女性セブン2024年1月1日号