【書評】『花の雨が降る ROCAエピソード集』/いしいひさいち/Kindle版/500円
【評者】大塚英志(まんが原作者)
本書は、いしいひさいち『ROCA』の「エピソード集」と題されているが、さて「続篇」と紹介すべきか「スピンオフ」と表現すべきなのかしばし考え込み、そうか「アンサーストーリー」なのだ、と思い当る。
『ROCA』は地方都市の高校生・吉川ロカがポルトガル歌謡ファドの歌手として成長していく教養小説的物語で、教養小説的というのはロカが両親の海難事故で孤児となっているという設定からも正しく窺い知れる。
そのロカの成長における束の間の庇護者・柴島美乃との友情と彼女の身の引き方をめぐる前作では、いしいひさいちがストーリーテラーであったことに今更愕然とさせられた。そして『ROCA』はロカの側から描かれたが、本作『花の雨が降る』は美乃の側から改めて二人の出会いと別れとその後が描かれるという点で文字通り「アンサーストーリー」である。
僕は4コマ形式に「視点」が成立するなど思いもよらなかった。4コマ形式の連続でのストーリー表現は大正末期の『正チャンの冒険』や敗戦直後、手塚治虫が『ロストワールド』を4コマ連載で試みたことは知られるが、『ののちゃん』を含め戦後の新聞まんがは暗黙のうちに『サザエさん』のような「一家と町内」を世界線としてきた。
それは戦時下、大政翼賛会の管理下全ての全国紙の紙面が隣組という町内の家族を描く「翼賛一家」連載で埋まって以来の戦後に続く「新聞まんが」のルーティンだったが、『ののちゃん』の中から派生した『ROCA』や本作は、大げさにいえば新聞まんがの「世界」を「翼賛一家」の呪縛からようやく解放した、とさえいえる。その点でもまんが史的には画期である。
だからこそ、その「世界」の広がりと生きる人々の魂の深さを絶望とともに描く最後の見開きは圧巻で、ああ、「見開き」という手法もまたこうやって全てを俯瞰する、その意味で神の視点だったのだな、と思いいたる。主題の深さと方法の先鋭さの共振が圧倒的である。
※週刊ポスト2023年12月22日号