元関脇・寺尾の錣山親方が死去した。まだ60歳の若さだった。元関脇・鶴ケ嶺の三男として生まれ、母親が亡くなると長男・鶴嶺山(元十両)、次男・逆鉾(元関脇)を追って高校を中退、母親の旧姓を四股名にして角界入りした。「井筒三兄弟」として活躍したことで知られている。
三兄弟の中でも寺尾は甘いマスクに加え、回転のいい突っ張りで攻め立て、相手の動きを見てタイミングの良いいなしで翻弄する相撲で人気を博した。1989年には逆鉾と史上初の兄弟三役を果たすなど、記録にも記憶にも残る力士だった。
39歳まで現役を続け、通算出場は歴代4位の1795回。引退後は「錣山」を襲名し、井筒部屋から独立して豊真将(元小結・現立田川親方)や小結・阿炎らを育てた。その指導は厳しいことで知られている。時津風一門の力士が言う。
「あの部屋はボディソープが置いてない。固形石鹸を使って一から泡立てろ、と言われるそうです。石鹸を使って泡立てるには大変な手間が必要で、それで体を洗うほうも、洗われるほうも苦労がわかる。すべてに手抜きをするなということらしいです」
寺尾はガチンコ力士としても知られてきた。1980年にスタートした本誌・週刊ポストの「角界浄化キャンペーン」は、八百長工作の仕掛け人だった元十両・四季の花の告発から始まった。その後、元大鳴戸親方(元関脇・高鉄山)、元横綱・曙の付け人、元小結・板井圭介氏など、数多くの実名証言と物証をもとに八百長の実態を報じてきた。
証言者のひとりで、八百長の星を調整する「中盆」役として暗躍した板井圭介氏が、元横綱・千代の富士の53連勝中(1988年)、ガチンコで戦った力士は10人しかいないと証言したことがあった。その10人の力士のひとりが寺尾だった。
板井氏の証言では「1989年の九州場所でアビ(寺尾)の後方に大将(千代の富士)が回ると、土俵中央で高々と持ち上げて叩き落とすという“送りつり落とし”の大技で勝ったことがある。アビが注射(八百長)を受けないことで、他のガチンコ力士たちへの見せしめとして繰り出した一番だった。それでもアビは断わり続けた」とのことだった。