確かにきっかけは「コロナ禍で旅に行けなくなったこと」、だったかもしれない。が、『ときどき意味もなくずんずん歩く』『いい感じの石ころを拾いに』といった著作もある脱力系人気エッセイスト宮田珠己氏(59)の手にかかると、体力作りも兼ねた〈そこらへん〉への散歩ですら、秘境旅に勝るとも劣らない発見や驚きやおかしみに満ちてくるから、つい嬉しくなってしまう。
それこそ最新刊『路上のセンス・オブ・ワンダーと遥かなるそこらへんの旅』の中で、宮田氏はかのレイチェル・カーソンの遺作と一字違いの造語〈The Sense of Wander〉をこう定義している。〈暗渠、電線、鉄塔、給水塔、歩道橋、狭い路地、道路標識、変な看板、さらにはエアコンのダクトや電気の配管まで〉〈私は、何の変哲もない街に感応できる感性を、センス・オブ・ワンダーと名づけたい〉
古くは今和次郎の考現学から赤瀬川原平著『超芸術トマソン』へと至る系譜に著者もまた連なる1人だが、昨今では路上観察の世界もSNSの登場で細分化され、隙間を探すのも難しいほど。宮田氏はそうした先人達の仕事を巻末に紹介しつつ、この街旅の指針とするのだ。
「コロナの前から考えてはいたんです。旅する者にとって旅の核心は行先とは関係ない気もするし、家の近所やそこらへんを海外のように楽しむことも、実はできるんじゃないかなって。
そのうち、『本当にこんなものを?』というくらい、坂とか鉄塔とか室外機とか、いろんなものを写真に撮ったりSNSで発信する人達が増えてきて、そのことに共感する自分もいたんです。『わかる、わかる』って。そんな時にちょうどこの企画を依頼されて、本当は自分でも見つけたかったんですけどね。まだ誰も発見していない未開のテーマを。
ところが調べてみると、いるんですよ。〈ご近所富士山〉も〈タコすべり台〉も、自分が面白いと思うものをごまんと集めてる大先輩が。だからって無理に探しても面白くはならないだろうし、そこは自然に任せました」
そう。常に全力で脱力に挑む著者にとって、無理は最もらしくないとも言える。1章〈目白から哲学堂公園〉から最終章〈神楽坂から曙橋〉まで全10章に及ぶ街旅は、同行の編集者〈西山くん〉と毎回かなりの距離を歩き、猛暑の中、東京スリバチ学会・皆川典久会長の著書にあった〈出口のない谷〉をめざしてみたり、〈無言板〉を方々で見つけてみたりと、実にとりとめがない。
ちなみに無言板は〈腐食したり色褪せたりして何が描いてあるのかわからなくなった看板〉、ご近所富士山は富士塚のことだが、その間にも宮田氏はガスタンクと神社の取り合わせの妙や〈交通公園〉など、自身の心騒ぐ風景を写真に収め、例えば坂に関してはこう書いている。
〈坂の魅力は、私が思うに異界感があるところだ〉〈てっぺんを越えた向こうに何か新しい景色〉〈とにかく今こことは違う世界がありそうな予感がする〉
また暗渠や路地に関しても『暗渠パラダイス!』にあった高山英男氏の考察を引きつつ、〈私に言わせれば「直」はつまらない。「湾」でも「消」でも「遮」でもいいが、やはり先が見えないことが望ましい〉と書き、〈私の《センス・オブ・ワンダー》はどうやら、その一点がとくに重要なようだ。異界を想像させる力〉と、傾向を自己分析するのだ。
「ただ、僕も巨大仏を追いかけてみたりジェットコースターに乗りまくったり、いろいろ本も出してはいるんですけど、ある程度やると飽きてくるんですよ。仮にタコすべり台の先駆者になれたとしても、世間が盛り上がるのと反比例して自分は飽きていくだろうし、歴史を調べるとか、王道の手順を踏むこともあんまりしない。
なぜしないのか、考えてみたこともあるんですけど、そうすると本質とズレてしまう気さえする。たぶん対象物そのものより、『なぜオレはこれを面白いと思うのか』とか、自分がその珍奇なものを見た時の感情に、興味があるんです」