「イスラエル・ガザ戦争の泥沼化」「台湾総統選挙の行方」「マイノリティの包摂問題」「ネットによる言論の分断危機」「組織的不祥事と『忖度』の追及」──大きな戦乱や政変が起こる年と言われる辰年に備えるべく、『週刊ポスト』書評委員が選んだ“2024年を占う1冊”は何か。国際日本文化研究センター所長の井上章一氏の1冊を紹介する。
【書評】『なんかいやな感じ』/武田砂鉄・著/講談社/1760円
【評者】井上章一(国際日本文化研究センター所長)
書店で見かけ、タイトルにひかれ購入した。読むと、けっこう苦味があって、おもしろい。著者の経歴に目をむけると、さまざまな媒体で活躍してこられたことがわかる。今まで気づかずにいたのは、私の不覚であった。
さて、この本は「なんかいやな感じ」と題されている。じっさい、著者は、社会のあちらこちらに「いやな感じ」をいだいてきた。たとえば、こんなところ。
オリンピックなどで栄冠を勝ちとったアスリートが、よく周囲への感謝を口にする。そだててくれた両親や声援をおしまぬファンのおかげだと、会見の場では発言しがちである。自分の力量だと公言すれば、世の指弾をあびるかもしれない。そういう事態はさけたいから、みなさんありがとうという口調に、彼らは終始する。
社会にはアスリートたちの発言を、謙虚という枠におしこめる力がある。そこに、著者はわだかまりを感じる。自分自身にも、そんな社会へ加担している部分があるのではないかと、どこかでためらいながら。
私も若かったころは、しばしばこういう問題で、自意識のとりこになった。社会と自分に不快感をもったものである。しかし、このごろはそれで自分をさいなむことが、よほどへってきた。ごうまんな言い方だが、私の社会的な地位は上昇している。社会の共犯者になりおおせたせいで、にぶくなった部分はあるのかもしれない。
この一文は、「2024年を占う」という選書のコーナーに書いている。繊細な神経があれば、とてもつとまらない仕事だと思う。2024年のことなど、一冊の本ではうらないようがないのだから。でも、私はそれを、ぬけぬけとひきうけた。やはり、デリカシーをうしなったせいか。
いずれにせよ、私はこの本で昔の感受性を、いくらかとりもどせたような気になった。回春の一冊である。まあ、こういう形でとりあげることを、著者はいやがりそうな気もするのだけれども。
※週刊ポスト2024年1月1・5日号