「イスラエル・ガザ戦争の泥沼化」「台湾総統選挙の行方」「マイノリティの包摂問題」「ネットによる言論の分断危機」「組織的不祥事と『忖度』の追及」──大きな戦乱や政変が起こる年と言われる辰年に備えるべく、『週刊ポスト』書評委員が選んだ“2024年を占う1冊”は何か。まんが原作者の大塚英志氏が選んだ1冊を紹介する。
【書評】『捨て子ごっこ 永山則夫小説集成2』/永山則夫・著/共和国/3960円
【評者】大塚英志(まんが原作者)
過ぎていったのは物語に人が支配されることで発露する暴力について考え込まねばならぬ一年だった。それは青葉真司のことでありイスラエルのことでもあり、両者を一つに論じるなと言われるかもしれないが自身の尊厳の根拠に物語を置きそれが毀損された時の傷付き易さと、その回復のために過剰な暴力性を必要とした点が重なって見え暗澹とする。
パレスチナ問題は旧約聖書に遡らないと理解できないと論じる識者もいたが、それはネタニヤフの「光と闇」発言のように聖書の世界線でこの世界を語ることだ。考えてみれば神話と現在の直截な接続はアメリカの共和党支持者から日本のネトウヨまでその傷付き易さとそれが反転した正義や暴力も含めまた同じ質のものとして実はないか。
神話とは自身を根拠付けるものだから青葉が自ら「金字塔」と語ったラノベが彼自身の実存や世界線そのものであったとすれば、落選やオンライン上の揶揄はまさに実存の危機で、それを物語として修復しようとすれば「闇の勢力」との戦う陰謀説もどきとなる。しかしその時「物語」は青葉を救えない。同様にイスラエルも救えず回復のために絶望的な暴力が発露する。
「物語」が人を癒すとしばしば読者も作者も口にする。確かに人も社会も揺らいだ実存を修復するために物語を必要とし、それはぼくが八〇年代末から幾人かすれ違った部屋に書きかけの小説を残し犯行に走った犯罪少年であり、社会なら歴史修正を渇望する思考として発露する。だが感動ポルノで涙する以上に物語/神話によって人や社会が何かを回復し得るのか。
永山則夫は犯行後多くの詩や批評を残す。その大半は傲慢さに満ち自身を被害者とし自身の暴力を肯定する。その辟易する文章群の中で本書を初めとする数編の自伝的小説だけがひどく読後感が違い、彼を含めた者らの「物語ることの傲慢さ」がそこには感じられない。
暴力の後にしかかくも美しい小説が訪れ得ぬものだとしたら何と「文学」は虚しいものなのか。
※週刊ポスト2024年1月1・5日号