テクノ・ポップという最先端の音楽を日本にもたらし、1980年代に大ブームを起こした『イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)』。そのメンバーとして活躍し、映画『ラストエンペラー』(1987年)でアカデミー作曲賞はじめ、数々の賞を受賞。世界的音楽家として知られる坂本龍一さんが亡くなったのは2023年3月28日だった。
「2014年に中咽頭がんであると公表してから、闘病していることを隠していませんでしたし、厳しい状況にあることは聞いていたので、驚きはしませんでしたが、寂しいですね」と、ブロードキャスターのピーター・バラカンさんは優しく微笑む。
かつて、YMOのマネジメント事務所で海外著作権や通訳などの国際的業務を担当していたバラカンさんは、坂本さんを“教授”と呼び、“ピーター”と呼ばれる関係。大島渚監督が手がけた映画『戦場のメリークリスマス』の撮影に付き人として同行した。
「とにかく何よりもあの映画のサウンドトラックは傑作ですね。撮影は南太平洋のラロトンガ島という小さな島でしていました。教授は初めての映画出演で演じることに必死で、不安なこともあったと思います。
ぼくの仕事は毎朝、教授が起きているのを確認し、朝食をともに食べ、茶色のダットサンに乗って撮影場所まで送り届けること。その後は飲み物を渡すくらいで、正直、暇だったんです。現場は通訳をはじめ、かなり人手不足でしたから、日替わりでいろんな仕事を与えてもらって、一瞬ですがエクストラとしても出演しました。
小さな島にホテルは1軒。スタッフも出演者も、もちろん教授も、食事も撮影後に飲みに行くのも同じ場所でした。とても楽しい思い出です」(バラカンさん・以下同)
翌1983年に坂本さんがDJを務めていた『サウンドストリート』(NHK-FM)のゲストとして来日中のデヴィッド・ボウイが出演。そのときもバラカンさんが通訳を務めた。
「通訳のほかに選曲を手伝うこともありました。その番組ディレクターから、教授の番組が終了するときに声をかけられ、1985年から番組を担当することに。これがいまの仕事につながっているので教授には本当に感謝しています」
海外でのレコーディングに同行するなどの仕事は続いたが、1986年に坂本さんがYMOの事務所から完全に独立してからは、コンサートなどで挨拶したり、メールのやりとりが中心になっていたという。
「最後のコンタクトは2023年1月5日にNHKで放送されたドキュメンタリー番組【*1】を見て、『映像も音楽も素晴らしかった』と感想を送ったとき。いつもすぐに返信をくれるのですが、このときも30分くらいで届きました。『ありがとう』というお礼と、その番組の映像を息子の空音央さんが担当したことが書かれていて、喜んでいるようでした。
【*1/2023年1月5日に放送された『NHK MUSIC SPECIAL 坂本龍一 Playing the Piano in NHK & Behind the Scenes』。NHKのスタジオで坂本さんが『戦場のメリークリスマス』『ラストエンペラー』などのテーマ曲をピアノで演奏し、インタビューや舞台裏を交えて紹介した】
さらに、ぼくが出演しているNHKワールドTVの『Japanology Plus』という番組で、アイヌと縄文時代に関する特集を取り上げたことがあるんだけど、これを教授が見てくれていて『昔からずっと興味を持っている環境や人権問題に、興味を持ってくれているのがうれしい』と書いてくれていたんです。
ぼくも、教授の音楽以外の活動に感心していました。日本では政治や環境、人権問題などについて発信するのは、炎上につながるし、勇気がいることです。でも、教授は自分の思いをどんどん発信している。それがすごくかっこいいんです。
教授が最後に発言した『神宮外苑』のこと【*2】も、少し空気感が変わってきたので、もしかしたら工事が止まるかもしれないけれど、まだまだ安心してはいられませんね。
【*2/坂本さんが亡くなる直前まで、小池百合子都知事らに「明治神宮外苑再開発の計画見直し」を求める手紙で訴えていたこと】
教授がいなくなったのは本当に残念だけど、音楽は残っています。大切にして、聴き続けていきたいと思っています」
【プロフィール】
ピーター・バラカン/古今東西の優れた音楽の魅力を紹介する音楽の伝道師。NHK-FM『ウィークエンドサンシャイン』や、NHKワールドTV『Japanology Plus』(NHK国際放送)などに出演中。
取材・文/山下和恵
※女性セブン2024年1月4・11日号