12月17日に「うっ血性心不全」のため60歳で急逝した錣山親方(元関脇・寺尾)の葬儀が同23日に東京・江東区の錣山部屋で営まれた。角界関係者ら400人が参列し、「寺尾、ありがとう」の大合唱で見送られた。錣山親方を乗せた霊柩車は両国国技館の前に停車し、相撲ファンを熱狂させた国技館の土俵にも別れを告げた。
錣山部屋では弟子の立田川親方(元小結・豊真将)が「錣山」と「立田川」の名跡を交換し、錣山部屋を継承予定。理事会の承認を経て、初場所からスタートする。協会関係者が言う。
「兄の井筒親方(元関脇・逆鉾)も現役親方として亡くなった(2019年9月死去)。この時は場所中ということで、緊急理事会が開催されて部屋の力士は後継者が決まるまで鏡山部屋(元関脇・多賀竜)の一時預かりとなった。
しかし、部屋の後継者が見つからず、当時現役横綱の鶴竜(現・鶴竜親方)ら弟子たちは陸奥部屋(元大関・霧島)に移籍し、井筒部屋は閉鎖となった。鶴竜が引退後に井筒部屋を再興するとみられたが、元・逆鉾の長女が木瀬部屋の志摩ノ海と結婚。『井筒』は時津風一門の名跡だったが、出羽海一門の志摩ノ海が継承する流れになった」
一方、鶴竜が移籍した陸奥部屋も後継者問題で揺れている。元大関・霧島の陸奥親方は来年4月3日に定年を迎える。陸奥部屋の後継者を決めなければならないが、後継者が見つからないため来年3月で部屋閉鎖の可能性があるという。相撲担当記者が言う。
「現役名で残っている鶴竜親方はまだ年寄名跡取得の目途が立っておらず、部屋付きの浦風親方(元前頭・敷島)は“自分は顔じゃない(分不相応)”と固辞したとされ、部屋の継承問題は暗礁に乗り上げているのです」