「イスラエル・ガザ戦争の泥沼化」「台湾総統選挙の行方」「マイノリティの包摂問題」「ネットによる言論の分断危機」「組織的不祥事と『忖度』の追及」──大きな戦乱や政変が起こる年と言われる辰年に備えるべく、『週刊ポスト』書評委員が選んだ“2024年を占う1冊”は何か。作家・関川夏央氏が選んだ1冊を紹介する。
【書評】『隣国の発見 日韓併合期に日本人は何を見たか』/鄭大均・著/筑摩選書/1870円
【評者】関川夏央(作家)
「隣国」とは朝鮮。著者・鄭大均は、日韓併合以前の一九〇五年から敗戦まで、日本人の旅行記、朝鮮での生活随筆を集め、適宜解説をほどこした。中心は、京城帝大で十五年間教えた哲学者・安倍能成の朝鮮エッセイと、京城医専で十年間教えた挾間文一の日記である。
挾間文一は発光生物研究者兼医者だが、彼が一九三八年、ノーベル生理学・医学賞の候補となっていたことも鄭大均は「発見」した。二〇〇八年、ノーベル化学賞を発光生物研究で受賞した下村修は挾間の長崎医大の後輩にあたる。
三十五年におよんだ日本統治は朝鮮に大変革をもたらした。それはまずインフラの整備であり、法的規範の普及、私有財産制度の確立であった。現代朝鮮語の書き言葉さえも、日本語の漢字仮名混じり文の影響下に成立した。マルクス主義の文献も日本語で読まれ、西洋音階による日本の流行歌が好まれた。要するに西洋文化は、日本経由であったからこそ朝鮮に根づいた。
安倍能成の哲学よりも随筆の方がおもしろいのは、彼が「人間通」だったから、と林達夫に評されたその朝鮮エッセイを、「冷酷なエゴイスト」「あけすけな偏見の持ち主、差別・加害の実行者」と口をきわめてののしったのは、朝鮮研究者の梶村秀樹であった。「加害・被害」という歴史観を立てた梶村は、韓国では「良心的日本人」と称揚されるが、「あけすけな偏見」をもって安倍の本を眺めただけなのだろう。
戦時中の朝鮮で「慰安婦を狩りだした」というウソの「告白」とともに、韓国を「土下座」周遊した吉田清治が「謝罪業者」なら、梶村は「告発業者」といえる。一九八〇年代とは奇怪な時代であった。
韓国の一部は、ついにナショナリズムを相対化できなかったが、日本がその道を避け得たのは、「在日コリアン」など「にぎやかなマイノリティ」がナショナリズムの肥大化を抑制したからだ、と鄭大均はいうが、まさに然りと思う。
※週刊ポスト2024年1月1・5日号