放送作家、タレント、演芸評論家、そして立川流の「立川藤志楼」として高座にもあがる高田文夫氏が『週刊ポスト』で連載するエッセイ「笑刊ポスト」。今回は、2023年を振り返り、故人をしのぶ。
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この号の発売が2023年のラスト。ゆっくり今年でも振り返ってみようかと思うとイラストの佐野クンが「今年はやっぱりこれでしょう」とこのイラストを描いてきた。アメフト、大麻、理事長、副学長校内ドタバタの泥仕合。林真理子は私の日芸の大後輩。
こんな騒ぎが起きる半年前、日大から爆笑問題・太田(日芸)に講演の依頼が来た。時はすぐに流れて大麻アメフト騒ぎ。講演前日、太田が私に「明日、学生相手に何か話してくれと言われてるんですけど行かない方がいいですかネ」「面白いから行って来いよ。林の顔見て来いよ」。
当日、なんと副学長が林を「パワハラ」で訴えた。市ヶ谷にある日大本部前はカメラに記者でゴッタ返していた。そこへ車でやって来た太田「やばい」と思い、思わずウラグチから本部に入っちゃったというお粗末。追記するなら、学生の前に出た太田の第一声「いま理事長からパワハラをうけまして」に、学生ドッカーン。ニュースはみんな日芸。
余談ですが旧ジャニーズの新社長になった人も日芸で太田と同期。“手ごわい相手だぬかるな、一気につぶしてすすめ”。私が台本を書いてる頃のフィンガー5『恋のアメリカンフットボール』より。
『オレたちひょうきん族』でお世話になったアダモちゃん「ペイッ」島崎俊郎が突然亡くなった。今年は“笑い”に携わる人が多く亡くなった気がする。2月は笑福亭笑瓶。人柄の良さがよく出た黄色のロイド眼鏡。鶴瓶の弟分みたいなニュアンスだったが師弟なのだ。
「笑い」ではないが記させて下さい。「MG5」のCM、『帰ってきたウルトラマン』の団時朗。若き日フジTVの帰り曙橋でバッタリよく会い、たった2人で小さな居酒屋でよく飲んだ。同い歳のいい奴。
5月「地下鉄漫才」の春日三球死去。奥様である照代さんと上品ないい漫才だった。1980年のMANZAIブームが来る前、三球・照代が“東京漫才”を守った。
ご存じ上岡龍太郎も81歳で亡くなった。あの毒舌、辛口を談志もこよなく愛した。小桜京子と書いても分かる人はもう少ない。喜劇王金語楼の芝居によく出ていた。90歳。吉本新喜劇では桑原和男、おかゆうた。10月にはタケモトピアノで若い人も知る財津一郎が「やめてチョーダイッ」と亡くなった。クレージーキャッツ最後のひとりとなった犬塚弘も94歳で他界。
喜劇人の死というのは「笑わせてくれた分量だけ哀しい」というのが私の持論だが……この説でいくとあまりうけなかった笑芸人は死んでもあまり哀しくない。
※週刊ポスト2024年1月1・5日号