「イスラエル・ガザ戦争の泥沼化」「台湾総統選挙の行方」「マイノリティの包摂問題」「ネットによる言論の分断危機」「組織的不祥事と『忖度』の追及」──大きな戦乱や政変が起こる年と言われる辰年に備えるべく、『週刊ポスト』書評委員が選んだ“2024年を占う1冊”は何か。富士通フューチャースタディーズ・センター特別顧問・山内昌之氏が選んだ1冊を紹介する。
【書評】『山県有朋 明治国家と権力』/小林道彦・著/中公新書/1056円
【評者】山内昌之(富士通フューチャースタディーズ・センター特別顧問)
かつて石橋湛山は、日本の政治が一定の範囲内をぐるぐる回って飛躍できない原因を、山県有朋が舞台上から「人形」(政党など政治主体)を操っていることに求めた。もっとも湛山は、人形が解き放たれたからといって良く踊れるとは限らず、かえって混乱を来すことも予想されると大局観の指摘も忘れなかった。山県の評伝は、革命家・政治家・軍人・元老などの多面的な人生の軌跡を過不足なく描くことが必須である。
この意味でも、山県が第一次内閣で打ち出した主権線・利益線の論は現代では主客転倒し、中国の第一列島線・第二列島線の論として換骨奪胎されたという著者の指摘はまことに興味深い。利益線とは、主権国家が領土を防衛するために必要な「彊域」であり、山県はそれを朝鮮半島の中立化として構想した。それは必ずしも、侵略や征服を含蓄するものではない。
山県は意外なほど無理をしない人物だった。彼は最初に組閣した時に、地方政治の枠組みを創出しただけでなく、解散なしに議会を無事に乗り切る力量を発揮した。著者は、山県がもっとも政党政治家らしい原敬の人格や政治的手腕を激賞したことに幾度も触れる。
小林氏によれば、山県が政治では意見の違う人びとの間でも、宗教や道徳や日常のことで近い考えをもち、親密な関係が成り立つことも珍しくないと信じていた。政治上の問題のみを重視して、人との多様な交わりを断ち、党派の競争に狂奔するのは人生の不幸なのだ。これは政党の党派闘争を指すのだろう。
政治とは私的利害の衝突であり、それを極小化すべきだという山県の信念はまことに味わい深い。しかし、「絶大の権力」を誇った山県の国葬は、大隈重信の葬儀と比べて淋しかったのは仕方がない。今もむかしも、国民は政治家を自分の好むレンズで見ようとするからだ。国民は、臨終が迫った山県が原敬の夢をよく見るという述懐でなく、大礼服または燕尾服の着用を義務づけた葬儀列席を山県らしい虚飾として見たいのだ。
※週刊ポスト2024年1月1・5日号