「イスラエル・ガザ戦争の泥沼化」「台湾総統選挙の行方」「マイノリティの包摂問題」「ネットによる言論の分断危機」「組織的不祥事と『忖度』の追及」──大きな戦乱や政変が起こる年と言われる辰年に備えるべく、『週刊ポスト』書評委員が選んだ“2024年を占う1冊”は何か。ノンフィクションライターの与那原恵氏が選んだ1冊を紹介する。
【書評】『〈悪の凡庸さ〉を問い直す』/田野大輔、小野寺拓也・編著/大月書店/2640円
【評者】与那原恵(ノンフィクションライター)
日本社会における「組織」の在り方が問題になったのは近年のことではない。「森友加計問題」以来も、東京2020オリンピックの不正疑惑、さらには旧統一教会、旧ジャニーズ事務所、日本大学、宝塚歌劇団など、続けざまに大きな問題になっている。
組織的な不正や不祥事が露見するたびに、上から命じられた、問題に気づいてはいたが止められなかった、といった弁明を耳にする。責任の所在を曖昧にする「忖度」という言葉がまかり通り、そしてまた同じような問題が繰り返される。
しかし組織の「歯車」にすぎなかったという弁明に納得してよいのか、問題を引き起こす本質的な構造を見逃しているのではないか。それらの疑問に真摯に向き合っているのが本書だ。
「悪の凡庸さ」とは、ナチスドイツによるユダヤ人ホロコーストに関与し、数百万人を強制収容所へ移送した責任者、アドルフ・アイヒマンについて、裁判を傍聴したハンナ・アーレントが著書『エルサレムのアイヒマン―悪の陳腐さについての報告』にある言葉だ。職務に忠実なだけの「凡庸な役人」というイメージが広く受容されたが、ナチズム・ホロコーストを研究する歴史学者からは「的外れ」だとも指摘されてきた。
そして近年邦訳されたベッティーナ・シュタングネト著『エルサレム〈以前〉のアイヒマン―大量殺戮者の平穏な生活』がアイヒマンの「主体的な関与」とともに、彼が逃亡生活を送ったアルゼンチンのナチ・サークル、戦後西ドイツにいた元ナチの大物たちの存在との関わりを明らかにし、大きな反響を呼んだ。
本書は「悪の凡庸さ」を巡る思想研究者と歴史研究者の論考および討論がおさめられている。両者の見解の違いをも明らかにしたうえで、アイヒマンの「主体性」とは何か、なぜ「悪の凡庸さ」が誤用されつづけるのか、研究の蓄積や知見をもとに論じ合った。現代の日本社会にこそ大きな示唆を与えてくれる一冊だ。
※週刊ポスト2024年1月1・5日号