角界の最高位たる横綱に相応しい相撲を見せられるのか。先場所、13勝2敗で優勝した大関・霧島が初場所での「綱取り」に挑んでいるが一筋縄ではいかないだろう。師匠の初代霧島(現・陸奥親方)を含む多くの大関が「綱取りの壁」に跳ね返されてきたからだ。力士人生、最大の大勝負──そこにしかない物語が生まれる。
「大関で2場所連続優勝、またはそれに準ずる成績であること」
1958年に横綱審議委員会(横審)が定めた内規にはそうある。「準ずる」の文言に解釈の余地があるため成績以外の要素にも左右される。数々のスピード記録を持ち、優勝22回を誇る貴乃花だが、6度の綱取り失敗を経験している。1994年9月場所ではその年3度目の優勝を初の全勝で飾るも、横審の否決で見送り。翌11月場所で2場所連続全勝優勝を遂げ、文句なしの昇進を決めた。
入幕2場所目に2横綱、1大関を破って「ハワイの黒船」と恐れられた初の外国人大関・小錦。3場所で2度の優勝でも横審に諮問されず。横審のひとりが「外国人横綱は要らない」と雑誌に寄稿して物議を醸し、結局、昇進できなかった。一方で、ひとり横綱時代だったために2場所連続の準優勝でも昇進した双羽黒の例もある。成績だけでは決まらないのだ。
過去73人の横綱のうち、北の湖や千代の富士のように大関在位3場所でのスピード昇進があれば、琴櫻や稀勢の里など大関で30場所以上要したスロー昇進も。名大関と言われながら、大横綱に阻まれて昇進できなかったケースも少なくない。「柏鵬」「北玉」に挑んだ清國、豊山らであり、「輪湖」時代の貴ノ花、魁傑らだ。
4度の綱取りに挑みながら、曙や若貴の壁に跳ね返されたのが元大関・栃東の玉ノ井親方。強烈なおっつけやハズにかかっての押し、キレ味鋭い出し投げなど、組んでも離れても相撲が取れたが、「この形になれば負けない」というものがなかったと自らの現役時代を振り返った。その経験を踏まえ、綱取り場所の難しさをこう語った。
「どれだけ自分に自信を持って相撲を取ることができるか。これに尽きるが、綱取り場所は前半戦を取りこぼしてはいけない。追われる側になると精神的な部分が問われ、これを克服するために自分の相撲の形を見つけなくてはならない。その形になれば絶対に負けないというものが欲しい」