1月8日、午後3時過ぎに田中角栄・元首相の自宅だった建物、通称「目白御殿」から火の手があがった。同日午後9時過ぎには鎮火したが、本邸を含む建物2棟、のべ約800平方メートルが焼失。建物南側の雑木林約10平方メートルも焼けたという。娘の田中真紀子・元外相は「母屋で線香をあげて建物から出たあと、ガラスが割れるような音がして火事に気付いた」などと説明している。全国紙社会部記者が言う。
「出火当時、本邸には真紀子さんとその夫の田中直紀・元防衛大臣の2人がいましたが、避難し、怪我はありませんでした。出火直後に真紀子氏が裸足で邸宅から飛び出してきたと語る近隣住民もいるため、よほど動揺していたのでしょう。
隣接する形で日本女子大のキャンパスや目白台運動公園などもありましたが、怪我人が出なかったのが不幸中の幸いです」
1966年に角栄氏の秘書となり、引退まで24年間仕えた朝賀昭氏は目白御殿の思い出を次のように語る。
「一番印象的だったのはゴルフの思い出ですね。オヤジがゴルフを始めたのは幹事長に就任した後だったんだけど、ゴルフ熱がどんどん高まって、邸宅の庭にネットで仕切りを作った打ちっぱなしの練習場と、芝生を整備してグリーンまで作ったんですよ。ホールも開けてね。グリーンのほうはグリーンキーパーがいないから、すぐに草ぼうぼうになっちゃったけど。
打ちっぱなしのほうではよく練習していました。運動することで、仕事で疲れた神経をリフレッシュしていたんでしょうね。時には体を痛めつけるくらい練習する熱中ぶりでした」
朝賀氏はハンデ10の腕前で、角栄氏にアドバイスすることも多々あったと言う。
「オヤジは素直な人でね。『お前の言った通りにやったらよく飛ぶな』なんて笑ってました。よくゴルフのラウンドのお供もしました。朝、私が車で目白邸まで行って、オヤジの車にゴルフバッグを詰め替える。オヤジは健脚でしたから、1日に2ラウンド回っても、カートは使わなかった」(同前)