「ねぇ……ママ。かゆい、あつい……」。消え入りそうな声で苦しさを訴えるわずか5才の男の子は、その数日後に短い生涯を終えた──。能登半島地震の犠牲者は、200人を超えているが、その中には幼い命も含まれていた。
ほとんどが倒壊した家屋の下敷きになったことによる圧死や、救助を待つ間に低体温症で亡くなったケースだ。だが、違った形でかけがえのない命が失われた。冒頭は、地震発生から4日後の1月5日に息を引き取った中川叶逢くんを映した最後の映像の様子だ。
「大きくなったら、消防士や救急隊員のような人を守る仕事がしたい」
そんな夢を持った明るく活発だった叶逢くんは、母親と一緒に石川県志賀町の親戚の家を訪れていた。大きな揺れに襲われてストーブの上のやかんが倒れ、叶逢くんのおしりから足に熱湯がかかり、広範囲にやけどを負った。
やけどの応急処置は、とにかく冷やすことだ。だが、地震の影響で断水し、満足に冷やすこともできない。叶逢くんがはいていたズボンを脱がせると、皮膚が一緒にべろりとめくれたという。
「やけどは軽傷ではないが、重傷でもない。入院はできない」
叶逢くんは病院に搬送されたが、診察した医師からはそう告げられた。だが、3日に41℃の高熱が出て、翌4日に再び病院を訪れるも、診察を待つ間に叶逢くんの呼吸は止まり、集中治療室での治療も虚しく、5日に死亡が確認された。痛みにもだえ、高熱にうなされる叶逢くんが、絶望のふちに立たされていたことは想像に難くない。
「病院の当日のオペレーションをチェックした方がいい」
遺族が病院側に入院を断られたと主張していることについて、馳浩石川県知事は会見でそう述べた。
「未曽有の大震災で、重軽傷者は1000人を超えており、病院は大混乱でした。けがの程度によって治療の優先順位を決めなければならない状態だったのでしょうが、病院にたどり着けたにもかかわらず命を落としたというのは、遺族も悔やんでも悔やみきれない。“救えた命だったのでは”と思ってしまうのも無理からぬ話でしょう」(全国紙社会部記者)
病院側は「経緯を検証中」としている。
「ママは世界一かわいい」
叶逢くんは、お母さんのことが大好きだった。その声は、二度と聞くことはできない。
※女性セブン2024年2月1日号