山陽電鉄本線・月見山駅から西へ徒歩6分、須磨海岸へ続く西国街道の途中の大きな交差点の角にある丸丹酒店。その独特の屋号の由来を、3代目店主・氏原弘さん(79歳)が教えてくれた。
「初代の出身は丹波篠山。兄弟数人で、須磨の酒屋に弟子入りしに出てきたんですわ。だから、そこから暖簾分けした店には丹波の『丹』の字が屋号に入ります。うちは、『丸丹』」
創業して70年近くになる老舗だ。
「みなこの辺りで開業したから、小売はどこ、配達はそこ、みたいに棲み分けしてね、うちは元々はお酒を納める商い専門でした。だから電話も取り外したくらいよ。そやけど、いつからかなあ、近所の人がちょいちょい買いに立ち寄るようになり、買うたついでにちょっと飲んでと、自然に立ち飲みが始まったんですわ」(店主)
北へ坂を登っていけば離宮公園。南へ行けば須磨海岸。店は近辺の目印にもなっていた存在で、妻・昭子さん(77歳)が21歳で嫁いできたときは大店だったという。
「阪神淡路の震災で建て直したから店は小さなったけど、場所はずーっとここなんよ」(昭子さん)
店主は、遠くを見ながら阪神・淡路大震災を振り返る。
「あんときはなあ、店も家もペシャンコになりました。須磨のこのあたりは全部がペシャンコや。なんか頑張らなあかんと思って、僕は市営地下鉄の建設工事の仕事をしましてね。それからなんとか店を再建し、ようやく、妻が今の形でやり始めたんです」
昭子さんは、「店は楽しいよ。ストレスがなにもないし。腹が立つこともない。いいお客さんに囲まれていると、温泉に浸かっているみたいでね」と笑う。
海沿いのこの町らしさか、集う須磨の男たちはよく日に焼けている。ゴルフ焼け、野球焼け、そして、船上焼けだ。
「コロナのときは、店のことが心配で、こっそり通ったもんよ」とアテのたこ焼きをほおばる客が話すと、「なんや、よそ行きの美談。この店の客は、ヘンコ(偏屈者)ばかりで毎日イヤゴト(文句)の言い合いよ」と突っ込みが入る。「うっさいな、もう帰れ!」とやり合い、笑い合うと、白い歯が光る。仲間の息子が野球選手になったときは、みんなで応援もした。
「あないなこと、やーのやーのゆーとうけどな、皆、ベッピンのあっちゃん(女将)ファンなんや。口には絶対に出さへんけどな(笑い)。だから、ここを守ろうと一つになるねん。結束が固いねんで」(70代、漁業)
「そうそう、昔々、その昔は、荒くれ者がようおってなあ、”嫌な酒”の客が来たときに、みんなで追い返したことがあったなあ」と懐かしむ常連も。「歴史は長いねん」。
さながら、姫を守る日焼けの騎士たちか?いつの頃からか、魔除けにと、大弓が飾られてもいる。弓の達者な常連客が持ってきたのだという