【書評】『映画監督はこれだから楽しい わが心の自叙伝』/大森一樹・著/リトルモア/1980円
【評者】関川夏央(作家)
十七歳から自主映画をつくりはじめた大森一樹が、京都府立医科大学入学後に完成させた『暗くなるまで待てない!』は、映画館の明かりが落ちるまで上映が待てないという映画ファン映画だった。
そんな彼が、若者たちの無免許移動放送局に日本版「老ボニーとクライド」をからませたシナリオ『オレンジロード急行』を書いて七七年「城戸賞」に入選、翌年大森自身の監督でつくられ、公開された。映画に熱中し過ぎて二年留年した大森はこのとき医大七年目の五年生、二十六歳であった。
ATG(アート・シアター・ギルド)の二代目社長・佐々木史朗から、よい企画はないかと尋ねられたのは、七九年、二十七歳のときで、医大最終学年の実習はおもしろいですよ、と大森がこたえると、ではそれでホンを書いて、と佐々木はいった。
ATGの資金協力でつくられたその映画、医師生活の門口に立つ青年たちの成長と不安をえがいた『ヒポクラテスたち』は、大森が二十八歳で医大を卒業した八〇年に公開された。主演は古尾谷雅人と伊藤蘭、青春映画の傑作であった。
以後、四十本以上の映画を撮った大森は、二〇〇〇年代からは大阪芸大の映像学科長をつとめた。しかし六十九歳の二〇二一年秋「あまりの体のだるさに」病院へ行くと、急性骨髄性白血病と診断され、即入院となった。化学療法の効果はあったものの二二年春に再発、本書の大部分を占める「自叙伝」の原稿依頼を受けたのはその入院中で、「余命半年から一年」といわれても現実感はなかった。そして二二年十月に退院、十一月、急逝。
七十歳は、『オレンジロード急行』に登場させた老犯罪者(岡田嘉子と嵐寛寿郎)の設定年齢とおなじだったが、状況はあまりにあわただしく、大森が老人の実感を味わうことはなかっただろう。「自叙伝」の原稿が新聞連載されたのは二三年になってからで、この本は旧友たちの手で死後一年に刊行された。
※週刊ポスト2024年2月2日号