立て続けに災害や事故、事件が起きた2024年の三が日。『女性セブン』の名物ライター“オバ記者”こと野原広子が、非日常が続いたこの正月で感じた複雑な感情について綴る。
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今年ほどとんでもない幕開けってあったかしら。いまさら言うまでもないけれど、元日に能登半島で最大震度7の大地震。翌2日には羽田空港の滑走路で日本航空の旅客機と海上保安庁の航空機が衝突。3日夜中には私がいつも利用している東京・秋葉原駅の電車内で若い女が刃物を振り回すっていう、非日常に次ぐ非日常。
「もう、カンベンしてよ」って、誰に言っているんだかわからないけれど、言わずにいられないわよ。ひとり暮らしの自室にいることに耐えられなくて外に出れば、2日と3日は雨がぱらついたけれど、その後の東京はずっと抜けるような青空。東京が晴天ということは、日本海側の天気はたいがい悪い。寒波が押し寄せて大雪が降って雷が鳴るということを、乗り鉄の私は体で知っている。
石川県輪島市の朝市の働き者の女たちの安否を思ったら涙が止まらなくなった。想像するだけでたまらないんだから、そのただ中にいる人はどれほどの思いをしているだろうと思ったのが4日の昼。それ以降、私は徹底して地震のニュースから逃げることにした。テレビはつけない。ネットニュースでチラッと見てもすぐ別のニュースに切り替える。「オバ記者」なんて言われているけれど、こうなると記者でもなんでもなくて、オバ以下よ。
正直言うと、地震が発生した元日午後4時10分から、私の基本姿勢は“逃げ”なんだよね。
あのとき私は、麻布十番の喫茶店で73才のBF(ボーイフレンド)・I氏とお茶を飲んでいたの。すると隣の若いカップルがスマホを手に「能登で地震だって」「やだ、震度7ってハンパじゃないよね」と言い出した。肩をぶつけ合うような狭い店内、彼らのスマホ画面を私は見た。なのに、それから店を出るまでの2時間、私はI氏とのオシャベリを止めなかったんだわ。「緊急地震速報」「震度7」という文字に反応しないって、われながらどうかしているって。
「何か大変なことが起こっていない?」と自分を急き立てる気持ちがないではない。けれど、それにも増して、「いま私が騒いでも何がどうなるわけでもないし、ま、いいか」という一種の面倒くささなんだよね。この感覚って何だろうと思ったとき、「もしかしたらこれって……」と思い当たったのが「正常性バイアス」という言葉よ。
正常性バイアスとは、「異常事態が起こっても、それを正常の範囲内としてとらえ、心を平静に保とうとする心のメカニズム。その出来事に心が過剰に反応して疲弊しないために必要な働き」なんだってね。
で、すぐに浮かんだのが、24才で結婚したときに2年弱同居した姑(当時64才)の顔だ。胃痛を訴えて病院に行った舅が緊急入院をすることになった、という電話を私が受けた。受話器を置いてあわてて姑に伝えると、「そう」と気のない返事。それで何をするかと思えば洗濯物を2階のベランダに運んで干し始めたの。
その20年後、胃がんの末期で入院していた私の義父(享年82)がいよいよ臨終を迎えるとき、うちの母親(当時89才)もおかしなことをしている。家族が病院に集合をかけられているのに、「今日は注文していたわかめを引き取りに行く日だから、誰か取りに行ってくれ」と、どうでもいいことを電話口で切羽詰まった声で言い続けたのよ。
私は当時、年配者のそうした行動に首をかしげながらも、長く生きてきたからこその“泰然自若”と受け取ったんだけど、自分が前期高齢者になると、そうではないとハッキリ感じるんだよね。
かくいう私も実はいろいろとやらかしている。たとえばバッグをまさぐってスマホがない!となったとき、あわてて捜そうと思う気持ちと、どうせどっかにあるから大丈夫、と思う気持ちがせめぎあい、「どうせ」が勝ってしまい、あとあと人に大迷惑をかけた……とか数えたらキリがない。
今年の正月早々に起きたいくつかの異変から私が立ち直れないのは、それが三が日に起きたからだと思う。66年間生きてきた私の頭の中には、お正月につきものの『春の海』の琴の音が流れていて、そこに冷や水をぶっかけられたからよ。
そうそう。何か災害や事件が起きたときにしゃがみこんだらダメ。まずはいますべきことを考えて素早く動く。これを今年は自分に言い聞かせていこうと思う。
【プロフィール】
「オバ記者」こと野原広子/1957年、茨城県生まれ。空中ブランコ、富士登山など、体験取材を得意とする。
※女性セブン2024年2月1日号