放送作家、タレント、演芸評論家、そして立川流の「立川藤志楼」として高座にもあがる高田文夫氏が『週刊ポスト』で連載するエッセイ「笑刊ポスト」。今回は、時代を作った大物たちの愛すべきエピソードについて綴る。
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次々と大きなニュースに巻き込まれる2024年の日本。大きな災害に目を奪われている間に実はたいへんな人々が次々と亡くなっている。このペースで行ったら12月には日本から有名人がいなくなっちゃうのではと心配。
暮れには“アホの坂田”こと元“コメディNo.1”の坂田利夫が。芝居でアホを演じ見せる名人は藤山寛美だったが、根っからのアホと関西中で思われていた愛すべき人物。間寛平がずっと世話を焼いていたというのが泣ける。
大みそかの紙面には「モンゴリアンチョップ、日米でトップ悪役レスラー」とあるキラー・カーンこと小沢正志が急死。若き日、ヒールとして北米を転々、「寂しい」と談志に連絡。談志にきいた話では「すべての仕事ほっぽり出して小沢のところへ行ったよ」。悪役で大暴れしてビール瓶など投げられながら次の巡業先へ。まさにアメリカ映画のよう。談志と小沢は車を飛ばし次の巡業先へ。罵詈雑言を受けながらふたりの車は走る。車中には三橋美智也が流れていたという。私の好きな話だ。談志は小沢のことが大好きだった。
年が明けたら“女と時代を撮った写真家”と言われる巨人・篠山紀信の訃報。日芸の私の先輩で気さくによく喋ってくれた。「高田クン、あ~たがどれだけ落語がうまいかしれないが、私の方が修業してるんだから。中学生の時、行儀見習いで名人、あの黒門町(桂文楽)の家に預けられたんだから。文楽の家で拭き掃除してる中学生なんている?」といつも自慢気に喋った。新宿のお寺の子であった。冗談の大好きな人だった。
そして中村メイコの訃報、2歳で映画デビュー。“ひとり芸能史”のような凄い人だった。エノケン、ロッパ、森繁、三木のり平、三波伸介。すべての喜劇人と共演した。
たて続けにショック、“演歌の女王”八代亜紀が急死。73歳と私よりも若いのだ。遠い昔、歌番組が全盛の時代、私も打ち合わせと称して何回も話をしたが、気さくで誰にでも優しい人だった。“トラック野郎”たちに愛されている姿がほほえましかった。『雨の慕情』の歌声にしびれた。みごとな絵も描き表現者としては超一流だった。
冠二郎も亡くなった。5歳年齢をサバ読んでいたというエピソードが人間くさくていい。
そして、なんと小さく記事。我が日大の大問題の当事者、日大、田中元理事長が77歳で他界。私の1年上が横綱輪島、その1年上が田中元理事長という勘定になる。さぁこれで何処へ行く日大!?
※週刊ポスト2024年2月2日号