大相撲初場所では大関取りに挑んだ関脇・琴ノ若が13勝2敗で本割を終え、優勝決定戦で横綱・照ノ富士に敗れて初賜杯こそ逃したものの、大関昇進を確実にした。師匠である父は元関脇・琴ノ若(現・佐渡ヶ嶽親方)、母方の祖父は元横綱・琴櫻という“サラブレッド”だ。早くから将来を嘱望されてきたが、これからどこまで出世街道を上がっていけるだろうか。
初場所も終盤戦に入ると番付に関係なく優勝戦線に残る力士同士の対戦が組まれ、“星の潰し合い”となった。10日目には、琴ノ若と前頭15枚目・大の里が1敗同士で対戦。相撲担当記者が言う。
「初土俵から所要4場所で新入幕となった大の里は、髪の毛が伸びるのが出世のスピードに追いつかず、ざんばら髪で土俵に上がっている逸材。日体大出身ですが、輪島以来2人目となる学士横綱となることを期待する声もある。一方の琴ノ若は、今場所13勝すれば“三役で33勝以上”の大関昇進の目安に届く状況のなか、絶対に落とせない大一番だった」
189センチ・177キロと192センチ・183キロの戦いは、立ち合いでもろ差しになった琴ノ若が一気に寄り切り、優勝争いの流れをぐっと引き寄せた。その活躍を見て、父や祖父の姿を思い起こす人もいるだろう。相撲ジャーナリストはこう話す。
「師匠であり父親の初代琴ノ若は192センチ・176キロの長身を活かして相撲を取った。突っ張ってから右四つに組み止め、左上手を引きつけての寄り切りや上手投げを得意としていた。今の二代目も突き押しに対応できる右四つ相撲が取れる。その姿は父親を彷彿とさせます。
また、琴ノ若は小学生の時に祖父の琴櫻から“お前が大関か横綱に上がったら俺の四股名をやる”と言われていたそうで、初場所は『二代目・琴櫻』襲名を懸けての土俵でもありました」
2007年に66歳で亡くなった琴櫻は、182センチ・150キロながらもその取り口から「猛牛」の異名を取った力士だ。
「頭から激しく当たり、そのままの勢いで力任せに押していく。稽古場でも手を抜かずぶちかますので、みんな嫌がって部屋に稽古相手がいなくなった。そのため出稽古に励んで強くなったという逸話が残っているほどです」(同前)